弥助は本能寺にいたのか?(黒人弥助についてのあれこれ) - 国家鮟鱇
前回の記事からひと月以上間が空いてしまいました。まだまだ書くべきことは多々ありますが、どうにも筆が進みません。理由の一つは、弥助について深入りすると関係史資料の少なさから不確定要素が増すということがあります。歴史を考えるにあたっては「ほぼ確実なこと」もあれば「確実では無いが可能性は高い」もあれば「可能性があるかもしれない」もあります。最後の「可能性があるかもしれない」だって、それなりに有力な根拠があれば決して無意味ではありません。ただ「有力な根拠は無いが可能性は否定できない」というような説は、つきつめればどんな説だってそれに該当します。極端な話「織田信長は実在しなかった」だって世の中に絶対が無い以上は「可能性は否定できない」です。
俺の結論は「弥助が侍だということを支持する根拠は何一つとして無い」です。普通はそれをもって「弥助は侍ではない」とすれば良いのですが、「可能性は否定できない」を持ち出されると、それを否定するのは困難(というか不可能)です。ただし、
なんか、織田信長に仕えた黒人の弥助の話題になっているみたい。彼に関する史料はかなり乏しいが、信長に仕える「侍」身分であったことはまちがいなかろう。出身の身分がどうであれ、主人が「侍」分に取り立てれば、そうなれたのが中世(戦国)社会。なんでそんなことが言えるかといえば、①信長より「…
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2024年7月19日
の「信長に仕える「侍」身分であったことはまちがいなかろう」については、その根拠とされているものが、全く根拠になってないと言って良かろうと思います。平山氏の提示する
①信長より「扶持」を与えられている、②屋敷を与えられている、③太刀を与えられている
のうち、
①信長より「扶持」を与えられている
は中間・小者などの武家奉公人でも「扶持」を与えられているのに違いないので、それだけで「侍」だとはなりません。「侍の可能性もある」だけです。
②屋敷を与えられている
については、これから書く予定ではありますが、これも「侍の可能性もある」だけです。そもそも原文は「私宅等迄被仰付」であり「屋敷を与えられている」という解釈(これもどういう意味なのか曖昧さがある)が妥当なのかという問題があるでしょう。
③太刀を与えられている
これが最も重要で、今まで論じてきたところです。
①「さや巻」(鞘巻)について 各所より「太刀ではない、短刀だ」「ダウト」「嘘」よばわりされております。これは、普通の辞書レベルならばそう思われても仕方ないかも知れないですね。でも、「鞘巻」は「鞘巻之太刀」を示す場合が多いのはご存じでしょうか。鞘巻の太刀は、現在でも現物が残っている場合が多いです。ちなみに、歴史学者であれば、調査する場合の参考史料として、『古事類苑』『武家名目抄』は普通に当たるわけですが、そこには数多くの史料からの引用があります。
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2024年7月20日
そもそも平山氏は「鞘巻」と「鞘巻之太刀」を混同しています。「鞘巻之太刀」は本当は「糸巻之太刀」が正しく「鞘巻太刀といふは誤也」と平山氏が参考史料とする『古事類苑』に『軍用記』の記事がしっかり引用されています。平山氏はそれを読まなかったか、あるいは読んでも意味が理解できなかったのかのどちらかでしょう。糸巻太刀が鞘巻太刀と呼ばれるようになった正確な時期は不明ですが江戸時代以降だと思われます。もし信長の時代に既に呼ばれていたとするなら、その根拠を平山氏自身が示す必要があります。俺の調べた限りではそういったものは見つかりません。この時点で平山氏が主張する根拠は根拠たりえないものだと言えます。
もう一つ重要なのが「熨斗付」です。
また、鞘巻を拝領するというのは、決して軽い意味を持つものではないのです。尊経閣文庫本には、ただの鞘巻ではなく「のし付」とあることに、誰も注意を払っていません。「熨斗付」とは、『武家名目抄』に「熨斗付と言ふは、金銀の類をのべて、鞘に著せたるをいふ也」とあり、金銀類を薄く延ばして作った板を、鞘などに張り付けた豪華なものです。ハレの日や、自分の身分や財産を誇示する時に身につける特別なものです。
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2024年7月20日
しかしながら「熨斗付」は『武家名目抄』(これまた平山氏自身が提示している)に
いにしへはさやうの刀は房小者なとさし申つる
とあるように本来は武家奉公人がさすものであって、身分の高い者がさすものではありませんでした。身分の高い者は地味な格好が良しとされ、その代わりに奉公人が派手な服装・武具で主人を飾り立てたのです。これも平山氏の事実誤認です。
ただし、少しややこしいのは『武家名目抄』に「いにしへは」とあるのは、こちらは江戸時代以降のことではなく、それ以前から武士・侍でも「熨斗付」をさす事例があったことです。武家のしきたりに従わず派手な格好をする人達がいました。「ばさら」と形容されるのがこれでしょう。派手好みの信長や秀吉も「ばさら」とは呼ばれはしなくてもこれに該当するでしょう。ただし武士全般がそうなったというわけではなくて、あくまで一部の特殊な事例だと思われます。
というわけで、平山氏の主張とは異なりますが、弥助に与えられた「熨斗付」にも「ばさら」的な意味があって「弥助は侍」だと言える「可能性はある」かもしれません。しかしながら、それに「名字が無い」「時により道具持ちをしていた」という『信長公記』(尊経閣文庫本)の記述から総合的に考えれば、弥助は侍ではなく武家奉公人という可能性の方が圧倒的に高いということになるでしょう。
※なお高木昭作氏の研究により、豊臣法令における「侍」が「若党」のことだとされています。若党は武家奉公人ですので、豊臣法令を織田時代に遡らせて、弥助は武家奉公人だが「侍」だと考える人もいるようですが、高木氏の同論文には若党が道具持ちをしないことも主張されています。道具持ちをしないというのは、時たまでもしないという意味ですから、弥助は若党(侍)ではありません。また若党が道具持ちをしないのは「若党が戦闘員であったことに関連していると思われる」とも書いています。弥助が戦闘に参加したことは確認されてませんし、当時の畿内でただ1人の黒人だったであろう弥助を失うリスクを取ってまで戦闘に参加させるとも思えません。(『所謂「身分法令」と「一季居」禁令』)
最初の方に戻って「可能性がある」ということであれば、それを否定するのは困難です。扶持を与えられているから「可能性がある」(ただしそうではない可能性も十分ある)。屋敷(私宅)を与えられているから「可能性がある」(ただしそうではない可能性も十分ある)。太刀(鞘巻の熨斗付)を与えられているから「可能性がある」(ただし平山氏の主張には事実誤認があり、別の可能性だが)。
さらに
・名字が無いが「侍」の可能性がある(本当にそう言えるのかは大いに疑問。これも後で書くかも)
・道具持ちをしているが「侍」の可能性がある(時たまであっても「侍」は道具持ちをしないのではないか?ただしこれについては気になる情報もあるので調査中
とにかく弥助について「侍」身分だとする積極的な根拠は何一つ無いと言えるでしょう。そして「可能性」についても、Aについては「侍であるかもしれない」と認めたとしてもBについても「侍であるかもしれない」を認め、さらにCについても「侍であるかもしれない」を認め、さらに(以下略)というように何重にも「侍であるかもしれない」を認めていかなければならず、到底
「侍」身分であったことはまちがいなかろう
という結論にはなりません。
これだけの根拠があるのだから普通はむしろ「弥助は侍ではない」と結論付けるのが自然というものです。
既に提示したことだけで「弥助が侍だとする根拠は無く、むしろ侍では無い可能性の方が圧倒的高い」とするには十分だとは思いますが、それはそれとして、さらに深掘りしてみたいという知的好奇心はあります。ただし、それをすると不確実要素が増えてきます。簡単に言えば「そうかもしれないが、そうでもないかもしれない」という今までよりかなり自信の無い仮説を書くことになります。弥助騒動収束してない今それやるのはいかがなものかというのもあって、ちょっとためらったりしてるところであります。