「鞘巻の熨斗付」について(その2)(黒人弥助についてのあれこれ)

「鞘巻の熨斗付」について(その1)(黒人弥助についてのあれこれ) - 国家鮟鱇

 

古は無之さや卷の刀と云物は有之候、後世糸卷の太刀を、鞘卷の太刀とよびならわし候、甚あやまりにて候。(『刀劔問答』)

軍陣には糸巻(是を今時さやまきの太刀といふはあやまりなり(『軍用記』)

又近世糸卷太刀を、さや卷太刀といふは誤也(『軍用記』補)

今世糸卷ノ太刀ノ事ヲ鞘卷ノ太刀トヨブハ大ニ誤ナリ(『安斉雑考』)

このように伊勢貞丈(1717-84)が「今時」「近世」「今世」に「糸巻の太刀」を「鞘巻の太刀」と誤って呼んでいると書いています。弥助と織田信長の出会いは天正9(1581)年です。信長の時代から「鞘巻の太刀」という呼称があったとしたら、伊勢貞丈が、「今時」「近世」「今世」と書くのは甚だ不自然に思います。

 

そして『信長公記』(尊経閣文庫本)に

然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候

と書かれている「さや巻之のし付」が「鞘巻の太刀」(当時は「糸巻の太刀」と呼ばれてたはず)だという可能性はほぼ無いと思います。「鞘巻」と「鞘巻の太刀」は全く違うものだと言っていいでしょう。

 

もうこれで十分だと思いますが、さらに言えば「糸巻の太刀」は古より武士が用いた刀で進物にも「糸巻の太刀」を多く用いたそうです。室町時代軍の初期には「正真」(刀工の流派)の太刀を進物にしたそうですが、室町中期からは刀身の代わりに少しばかりの鉄を身にしてたそうです。つま進物用の糸巻の太刀は本物の太刀では無かったようです(なお上には鉄と書きましたが木刀やなまくらを使ったと書いてるのもありました)。よって、弥助が拝領した太刀が万々一「糸巻の太刀(鞘巻の太刀)」だったとしても、使い物にならない代物だった可能性が高いと思われます(信長の時代には本物を使った可能性も無いとはいえませんが)。

 

もうこれで十分だと思いますが、さらに言えば、そもそ太刀とは何か?という話でございます。大雑把にいえば「太刀は刃が下向きの刀」といえるでしょう。一方「打刀は刃が上向きの刀」です。信長の時代は既に「打刀」が主流になってました。太刀は、公家では儀式用に使用してました。一方武家では実戦で使用しました。しかし、信長の時代には武家においても太刀は儀式用のものとなっていたと考えられます。よって、弥助が拝領した太刀が万々一「糸巻の太刀(鞘巻の太刀)」だったとしても、儀式用に使うことはあっても、日常で差すことは無かったのではないでしょうか

 

※ もちろん、俺は前の記事に書いたように刀剣の勉強を始めて数日のド素人ですので、誤りがあるかもしれまん。おかしなところがあったら指摘してくださいませ。