2016-05-17から1日間の記事一覧

マボロシの「四国切り取り次第」(その3)

「以此由緒四國の儀は。元親手柄次第に切取候へと御朱印頂戴したり」(『元親記』)あるいは、「先約」(『南海通記』)というのは、長宗我部元親側の認識であり、そのことを明記した朱印状は存在しない。実際に発給されたのは 対惟任日向守書状令披見候、仍…

マボロシの「四国切り取り次第」(その2)

一次史料を元にして推測すれば「四国切り取り次第」の朱印状は存在しなかったと考えるのが妥当だ。ところが『元親記』には 以此由緒四國の儀は。元親手柄次第に切取候へと御朱印頂戴したり とあり『南海通記』には 尫弱(おうじゃく)の身ナリト云ヘトモ、四…

マボロシの「四国切り取り次第」(その1)

長宗我部元親の息子弥三郎が織田信長の「信」字を拝領したとき、同時に「四国切り取り次第」が認められたと一般に言われている。 四国の長宗我部氏に対しては、四国切り取り次第の領有を認めており、天正八年の段階でも阿波を安堵しておきながら、その後突然…