2025-01-01から1年間の記事一覧
tonmanaangler.hatenablog.com 引き続き布施孫兵衛(重次)について。 『寛政重修諸家譜』によれば三善清行の子浄蔵貴所の2人の子のうち1人が布施氏、もう1人が飯尾氏の祖。 浄蔵 - Wikipedia 「今の呈譜」では三河国住人布施次郎左衛門重道の子の伊豆守重秀…
tonmanaangler.hatenablog.com 松尾山の小早川秀秋陣に鉄砲を撃った隊の鉄砲頭とされている布施孫兵衛について。 ▼布施孫兵衛と堀田勘左衛門は実在の人物か? 松尾山の小早川秀秋の陣に向けて鉄砲を撃った隊の鉄砲頭として、布施孫兵衛(家康麾下)と堀田勘…
tonmanaangler.hatenablog.com なぜ、久保島孫兵衛が『寛政重脩諸家譜』に載らないのか(「柳澤」には載るが)といえば。その理由は久保島孫兵衛が後に帰農したからだと考えられる。 遠藤村は、その初め、小名窪(久窪)の地におこったと云われる。その他の地…
tonmanaangler.hatenablog.com 白峰旬氏が「創作された架空の人物」だとする久保島孫兵衛は実在する。 久保嶋孫兵衛は近江国甲賀郡水口周辺の宇田村で検地役人(『水口町志』上巻·二六六頁)をしており、坂田郡国友村とも関係をもつ代官(『改訂·近江国坂田郡志…
tonmanaangler.hatenablog.com フィクションとしての「問鉄砲」(パート1) : 家康神話創出の一事例(その2) フィクションとしての「問鉄砲」(パート2) : 家康神話創出の一事例(その2) 「問鉄砲」の逸話は、小早川秀秋が東軍に寝返る約束を反故にしたと家康が考…
tonmanaangler.hatenablog.com 重要事実を書く前にもう一つ気付いたことがある。大事なことなのでそれから。 白峰旬氏の論文『フィクションとしての「問鉄砲」』 BUILD Site - フィクションとしての「問鉄砲」(パート1) : 家康神話創出の一事例(その2) BUILD…
最初に断っておくが、俺は関ヶ原合戦に詳しくない。そして「問鉄砲」があったか無かったかについてもそれほど関心があるわけではない。史実は現在有力な「問鉄炮は無かった」なのかもしれないけれども、ではなぜこの記事を書くのかといえば見過ごせない重要…
幕末の剣術家で勝海舟の従兄の男谷精一郎。彼の父親に関しては二説あるが、男谷新次郎信連が実父で、男谷忠之丞信孝(信連嫡男)は養父の可能性が高い。という今まで誰も唱えてないだろうことを諸史料を使って考察してみました。 男谷精一郎の父親について …
tonmanaangler.hatenablog.com (その6) 『武鑑」によれば、男谷平蔵は文化元~9年「かんたさへ木丁(神田佐柄木町)、文化10年「本所相生丁三丁メ(本所相生町三丁目)とある。しかしながら文化7年まで実際に住んでいたのは深川油堀。そして文化7年以降は…
tonmanaangler.hatenablog.com (その4) 勝小吉『夢酔独言』に 忠次の親父へさういつた故おれも呼によこしたから番場へいつたら忠之丞が三人並て色々いけんをいつて吳た以來は喧嘩をしまいと云書付を取られた此忠之丞と云人は至ていゝ人で親類が聖人のやうだ…
tonmanaangler.hatenablog.comb 番外編 (その2) 勝海舟の家系覚書 〇検校之家は、其男鳩斎と云。其後を継ぐ者忠之進。此人之男三代仕官せず。家豪富にして盛なり。忠之丞之男彦四郎の養子、則下総守。 (『勝海舟全集 22 (秘録と随想) 講談社 1983.9) 「…
tonmanaangler.hatenablog.com 番外編 (その1) 『幕末実説剣豪秘聞』(流泉小史 昭和5)によれば『海舟先生家系略孝』(高瀬真卿の未定稿)に下総介恒友という人物が登場する。 初代 廉操院(検校) 二代 (小谷)鳩斎 (重蔵改め勝之丞思教〔ひろゆき〕恩教…
tonmanaangler.hatenablog.com 男谷精一郎が男谷新次郎信連の実子であり妾の子である可能性について。 男谷精一郎の父は男谷新次郎信連だとするものが現在でも多い。だが近年それは誤りで事実は新次郎の子の男谷忠之丞(信孝)だという説があり、しかも忠之…
tonmanaangler.hatenablog.com男谷新次郎信連が精一郎の実父で、男谷忠之丞が精一郎の養父という可能性 ※ 弟や妹を養子にするというのは珍しいことではない。たとえば、たまたま見つけたのだが『寛政重修諸家譜』の「本目氏」(燕斎の娘が嫁いだ本目氏の一族…
tonmanaangler.hatenablog.co 男谷精一郎の父親が男谷新次郎信連とされた理由。 非常にややこしいので整理すると ● 男谷検校の子は「旭斎」(「鳩斎」の誤り) ● 男谷精一郎は男谷検校の孫(とされていた) ● 男谷精一郎の実父は「旭斎」(とされていた) ● …
tonmanaangler.hatenablog.com 男谷精一郎文化7(1810)年出生説は孫の男谷忠友が書いたもの。精一郎は忠友が19歳の時に67歳で死去。寛政10(1798)年出生だと考えられる。なぜ祖父の年齢を12年も違う55歳にしてしまったのかは大いなる謎。 67歳だから6年前の安…
tonmanaangler.hatenablog.com 当初は精一郎の生年は文化7(1810)年とされていたが、現在は寛政10(1798)年とするものが多い。ただし、昭和5(1930)年に二つの説があることを記したものがある。 信友の官歷は書院番、徒頭、先手頭、講武所頭取、同師範役、同…
tonmanaangler.hatenablog.com 男谷新次郞信連について。勝部真長『勝海舟』(1992)に『水府系纂』(水戸藩の藩士の系譜を収録した史料)の記事が掲載されている。『水府系纂』は閲覧するのが困難なのでとても貴重。 水府系纂 - Wikipedia 「水府系纂」を探…
tonmanaangler.hatenablog.com 男谷精一郎の父親については男谷忠之丞(信孝)説と男谷新次郞信連説がある。勝海舟の父の勝小吉が精一郎は従弟忠之丞の子が新太郎(精一郎)だと『夢酔独言』に書いている。よって男谷精一郎の父親は男谷忠之丞で確定。だが2025…
tonmanaangler.hatenablog.com 男谷精一郎の父親について(その1)では男谷忠之丞(信孝)説を、(その2)では男谷信連説を、(その3)では男谷新次郞信連説を列挙した。 男谷信連と男谷忠之丞は別人と考えられる。『水府系纂總目錄』に 男谷新次郎信連 同 忠…
tonmanaangler.hatenablog.com(その2)では男谷信連系を中心にした。今回も男谷信連だが男谷新次郞信連系で。 幕府の士男谷新次郞信連と云ふ者の嫡子寬政九年の出生である。 (『日本十大剣客伝』霜田史光 昭和4) 文化七年正月生る。(中略)男谷新次郞(信…
tonmanaangler.hatenablog.com (その1)では男谷精一郎(信友)の父を男谷忠之丞とするものを中心にした。次は男谷信連系を中心に。 幕府の士男谷信連の一子 (『大日本剣客伝 乾之巻』青柳武明 昭和8) 男谷信友は男谷信連の子で (『維新百話 : 山海余滴…
男谷精一郎の父親および精一郎の生年についての覚え書き。考察はのちほど。 生年:寛政10(1798) 江戸後期の幕臣,剣客。男谷信連の長男。江戸生まれ。幼名新太郎,諱は信友,雅号は静斎,蘭斎。20歳で同族男谷思孝の養子となり,小十人頭となる。 朝日日本歴史人…
tonmanaangler.hatenablog.com 本多隆成氏の「『家忠日記』の「御家門様」とは誰か」(『静岡県地域史研究会報』第254号 2024年5月5日)より これまでの研究ではもとより、ごく最近の著作においても、織田信長であることがいわば自明のこととして論述が行わ…
tonmanaangler.hatenablog.com もはや「御家門様」の問題とはかけ離れていくので別に書く。 正月十三日 尾州清洲にて御鷹つかはさるへき為柏原迄御成十四日岐阜へ御下翌日御逗留十六日尾州清須へ御下着 十八日三州吉良へ御成雁鶴余多被成御取飼 廿二日尾州へ…
tonmanaangler.hatenablog.com 「御取飼」とは一体どういう意味なのだろうか?昨日から調べてるのだが解説は全く見つからない。唯一『柳多留輪講 初篇』(大村沙華他 至文堂 1972)に 将軍がお拳で捕えた鶴だけが禁裏へ献上され、御三家、加賀、薩摩、仙台侯…
tonmanaangler.hatenablog.com 天正6年正月、織田信長は尾張「清州」で鷹狩りをする予定だった。ところが実際には三河「吉良」で鷹狩りをした。『信長公記』の記述はそう理解されているらしい。 本多隆成氏の記事に 十八日三州吉良へ、鷹狩で獲物多し、 高橋…
tonmanaangler.hatenablog.com (その1)で『家忠日記』の記述だけで、「御家門様」が岡崎城に来訪したとはたして言えるのかという疑問を書いた。しかしながら多くの(もしかしたら全ての?)研究者がそう解釈してると思われる。だから、この疑問自体が俺の…
『家忠日記』天正六年正月条における「御家門様」とは織田信長のことか近衛前久のことかで、本多隆成氏と高橋陽介氏との間で議論になっている。 この程『静岡県地域史研究会報』254号に、拙稿「『家忠日記』の「御家門様」とは誰か」が掲載された。高橋陽介…
「三浦按針」への素朴な疑問。 ・前回は三浦按針(ウィリアム・アダムス)は「サムライ」だったのか?という問題についての研究者の言及を書いた。ここからは俺の素朴な疑問を書く。 正直俺は三浦按針について詳しくない。だからこの「素朴な疑問」は実は全…