『家忠日記』の「御家門様」は誰か?についての素朴な疑問(その4)
「御取飼」とは一体どういう意味なのだろうか?昨日から調べてるのだが解説は全く見つからない。唯一『柳多留輪講 初篇』(大村沙華他 至文堂 1972)に
将軍がお拳で捕えた鶴だけが禁裏へ献上され、御三家、加賀、薩摩、仙台侯だけへ下さるる鶴は御鷹司が獲った鶴即ち御取飼鳥が充てられる
と『幕朝故事談』からの説明ある。御鷹司が獲った鶴のことを「御取飼鳥」というそうだが、それ以外一切わからない。とにかく「御取飼」が鷹が鳥を獲ることに関係する言葉なのは確かなようだが、語源等は全く不明。
『信長公記』の
正月十三日 尾州清洲にて御鷹つかはさるへき為柏原迄御成十四日岐阜へ御下翌日御逗留十六日尾州清須へ御下着 十八日三州吉良へ御成雁鶴余多被成御取飼 廿二日尾州へ御帰
の「雁鶴余多被成御取飼」は「雁・鶴などたくさんの獲物をおとりになって」という榊山潤氏の現代語訳で間違いは無いのだろうけれども、清州で「御鷹つかはさる」とあり、吉良で「御取飼」。場所が違っているだけにただの表現上の違いなのかがどうしても気になる。
「御鷹つかはされ」「御取飼」に加えて「鷹野」、『信長公記』ではこれらの言葉を使い分けているようにも感じられるし、そうでもないようにも感じられる。どうにもわからない。
とにかく重要なのは、最初に「清州」とあるのに、清州ではなく「吉良」で鷹狩をしたかのように読めてしまうことだ。そこに何かを感じ取ってしまう人が出てくるが、本当に何かがあったのか?
俺は鷹狩についてほとんど何も知らない。鷹狩というものは簡単にやりたいと思ったらすぐやれるものなのだろうか?白戸三平の漫画だったと思うが鷹狩に領民が駆り出されていた。急にやるといっても準備できないこともあるのではないか?鷹狩の規模にもよるだろうけど(そういう意味でも用語の使用法が気になるのだが)。清州でやると言っていたのに吉良でやることになったとすれば、鷹狩をする側の人員や道具には問題ないとしても、受け入れ側の現地では対応するのが困難ということもあるのではないか?そこがわからない。
諸々考えるに、吉良での鷹狩は当初から予定されたものではないかと思う。とはいえ『信長公記』の記述には不自然さがある。「尾州清洲」は太田牛一の単純ミスの可能性も無くはないけど。