三浦按針はサムライだったのか?(その2)(黒人弥助についてのあれこれ)

「三浦按針」への素朴な疑問。

・前回は三浦按針(ウィリアム・アダムス)は「サムライ」だったのか?という問題についての研究者の言及を書いた。ここからは俺の素朴な疑問を書く。

 

正直俺は三浦按針について詳しくない。だからこの「素朴な疑問」は実は全く的外れなのかもしれない。だが少なくとも俺が調べた限りではこの「素朴な疑問」に対する明確な答えは見つけられなかった。

 

その疑問とは「三浦」は名字なのか?ということ。

 

この疑問を最初に書いたのは4年前のこと。

 

一般にウィリアム・アダムスは相模国三浦郡逸見に領地を与えられ三浦按針となったとされる。多くの人は「三浦」が名字で「按針」が名前だと考えていると思われる。

 

だが、逸見(現在横須賀市の地域名)に領地を与えられたのなら、名字は「逸見」になるのが自然ではないだろうか?

 

 

確かに逸見は三浦郡に属する。しかしだからといって三浦郡の一部に過ぎない逸見に領地があるからといって、三浦を名字とするというのは考えてみれば少しおかしな話ではないだろうか?

 

しかも相模国の三浦氏といえば名族の桓武平氏三浦氏。末裔では無いウィリアム・アダムスに「三浦」の名字が認められるというのも少し不自然なように思う。三浦氏の誰かの養子になった等があれば別だが、そんな話は無いように思われる。

 

最初に書いたようにこれは俺の「素朴な疑問」である。「素朴」すぎて他に書くことが無い。だがこれは意外と盲点ではないのか?そんな気がする。

 

ところで、この素朴な疑問を持ったのは4年前のことで、それから何の進展も無かったのだが、去年「弥助は侍か?」という問題で三浦按針との比較がなされたことから再考してみたのだが、そこでまた新たに素朴な疑問が発生した。

 

それは三浦按針の「按針は名前なのか?」という疑問。

 

(つづく)