2016-08-17から1日間の記事一覧

羽柴=橋場説について(その4)

浜松に「ハシバ」という地名が存在した。 材木町(ざいもくちょう) 東海道線の天竜川鉄橋の西岸に位置する町で、明治中期頃から製材を中心とする木材関係の工場が多くなり、中ノ町地区の国吉町と共に木材の団地化をみた。このため和田村が市に合併した翌年…

羽柴=橋場説について(その3)

『太閤素性記』によると松下加兵衛と「猿」の秀吉が出会ったのは「牽馬の川(引馬川)」とされている。原文だと 濱松の町ハヅレ牽馬ノ川ト云邊ニ白キ木綿ノ垢ツキタルヲ著テ立廻ラル この「牽馬の川(引馬川)」というのは現在「馬込川」と呼ばれている川の…

羽柴=橋場説について(その2)

『太閤素性記』によると、中々村の「猿(秀吉)」は父の遺産の一部を持って清須に行き大きな針を買い、その針を食事や草履と交換しながら浜松まで来た。そして浜松の外れの「牽馬の川(引馬川)」を歩き回っていた。その頃の浜松の城主は飯尾豊前守といい今…