男谷精一郎の父親について(その9)
男谷精一郎の父親が男谷新次郎信連とされた理由。
非常にややこしいので整理すると
● 男谷検校の子は「旭斎」(「鳩斎」の誤り)
● 男谷精一郎は男谷検校の孫(とされていた)
● 男谷精一郎の実父は「旭斎」(とされていた)
● 男谷検校-旭斎-精一郎
● 男谷精一郎の実父は男谷忠之丞
● 男谷精一郎の実父は男谷新次郎信連
● 男谷忠之丞=男谷新次郎信連
● 男谷精一郎は実は男谷検校の曾孫
● 鳩斎の父が旭斎
● とすれば男谷精一郎の実父は鳩斎
● 男谷忠之丞=鳩斎=男谷新次郎信連
● 男谷検校-旭斎-鳩斎(忠之丞=新次郎信連)-精一郎
● 男谷精一郎の実父は男谷新次郎信連
といった具合に複数の要素(誤伝と事実と矛盾点を合理化する推測による仮説)が複雑に絡み合って精一郎の父が新次郎信連だということになってしまったのではないだろうか?おそらくは、男谷精一郎の父親男谷新次郎信連説の多くがこういった経緯を経て成立したのではないかと思われる。
ただし、それで全てが解決するかといえばそうではない。そもそも『大日本人名辞書』
十一年六月十八日を以て病むて歿す壽六十四城東深川增林寺に葬る男なし嚮きに同族新次郞信連の男精一郞信友を養て子と爲す二女あり長は小納戶本目某に嫁す次は即ち信友の妻也(碑陰記) (『大日本人名辞書 補遺 2訂 増補版』(経済雑誌社 1896 3版)
に「同族新次郞信連の男精一郞信友」と書いてある。これは何だ?という大問題がある。
見ての通り出典に『碑陰記』とある。『碑陰記』は正確には『燕斎男谷君碑陰記』という。すなわち男谷精一郎の養父の男谷燕斎(彦四郎・思孝)の墓碑銘であろう。男谷家の墓地は深川の増林寺にあったが関東大震災で焼けて、その後に昭和2年の区画整理で紛失してしまったという(『統率の原理と心術 (啓正社選書) 』勝部真長 1983.4)。したがって現存しない。
しかしその原文は『新潟県史 別編 3 (人物編)』(1987.3)・『事実文編 3 (巻39~巻59) (関西大学東西学術研究所資料集刊 ; 10-3) 』(1980.3)に載る。碑文を書いたのは林皝(檉宇)(1793-1847)。林述斎の三男。鳥居耀蔵の兄弟(ただしこの兄弟についても林述斎の何番目の子かがバラバラ。それを調べてる余裕はない)。
男谷燕斎は天保11(1840)年6月28日死去。64歳。二人とも幕府の儒者。交流があったことは疑いない。
木曾源公遺跡碑銘
大學頭林衡製文左近大夫林皝撰銘
從四位下伊豆守眞田幸貫題額男谷思孝書
(『西筑摩郡誌』大正4)
とあり、林皝撰銘、男谷思孝書となっている。なお父の林述斎と彦四郎(燕斎)は少なくとも『寛政重修諸家譜』以来の仲である。
『燕斎男谷君碑陰記』の問題の部分
以十一年六月二十八日病没、寿六十四、葬於城東深川増林寺、娶同氏、無男、嚮者養同族新次郎信連之男精一郎信友、為子二女、長嫁小納戸本目某、次即信友妻也、
「天保11年6月28日病没、64歳、城東深川増林寺に葬る、同氏(男谷氏)を娶る。男子無し、同族の新次郎信連の男子精一郎信友を養子に迎えた。女子二人をなす。長女は子納戸役本目某に嫁ぐ。次女は信友の妻」
『碑陰記』の記事を全て確認してはいないが概ね正確なのではないかと思われる。しかしながら、勝小吉『夢酔独言』に
或日おれの從弟の處へいつたら其子の新太郞と忠次郞と云兄弟が有が
甥の新太郎
忠次の親父へさういつた故おれも呼によこしたから番場へいつたら忠之丞が三人並て色々いけんをいつて吳た以來は喧嘩をしまいと云書付を取られた此忠之丞と云人は至ていゝ人で親類が聖人のやうだと皆々こわがつた仁だ。
と書いてあるからには、「新太郎(精一郎)」は「忠之丞」の子なのは確実である。また忠之丞は勝小吉の従弟なので男谷検校の孫であり、よって新次郎信連と同一人物ではない。
だとすれば、『碑陰記』の記述は誤りなのだろうか?だがこの矛盾のようにみえてしまうことが矛盾ではない可能性がある。
それは男谷忠之丞は精一郎の父だが、男谷新次郎信連も精一郎の父だという可能性。
実はそのことは(その4)でほのめかしていた。
「信友」は男谷精一郎のことなので、「男谷忠之丞の長子」と「同族信連の男信友」は同じ意味で、すなわち「男谷忠之丞」と「信連」は同一人物であるかのようにみえる(ただし必ずしもそうだとはいえない。実父と養父の可能性もある)
つまり、男谷新次郎信連が精一郎の実父で、男谷忠之丞が精一郎の養父という可能性があるということだ。
※ 実のところ、男谷精一郎の父親について深く掘り下げてみようと思ったきっかけが、この『燕斎男谷君碑陰記』。そもそもは大河ドラマ『べらぼう』→検校に興味持つ→米山(男谷)検校に興味持つ→『勝海舟』(勝部真長)を見る→男谷精一郎の父は新次郎信連とするものが多いが忠之丞が正しいということを知る→調べて見ると確かにそうみたいだ→さらに調べて『碑陰記』を知る→さらに調べる→あれっ何かがおかしい…という流れ。
(つづく)