男谷精一郎の父親について(その11)

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男谷精一郎が男谷新次郎信連の実子であり妾の子である可能性について。

 

男谷精一郎の父は男谷新次郎信連だとするものが現在でも多い。だが近年それは誤りで事実は新次郎の子の男谷忠之丞(信孝)だという説があり、しかも忠之丞説は正しい。ところが一周回って男谷新次郎信連は実父であり忠之丞は養父(そこからさらに同族の男谷彦四郎思孝燕斎の養子となる)というのが俺の推理。

 

次は男谷新次郎の正妻ではなく妾の子であろうということについて。

 

勝海舟』(勝部真長)によれば男谷新次郎信連の妻は浪人学者日野吉衛門定年の娘。

男子七人

忠之丞信孝

②織之助庸行

③勝之助義勝(紀州片野孫兵衛養子、後に離縁)

④国之助

⑤元之助(尾張郷士武野四郎左衛門養子、後に離縁)

⑥米之助

⑦吉田千之助(幕府与力吉田三郎兵衛直賢養子)

(吉田三郎兵衛直賢という人は男谷彦四郎思孝と同じく『寛政重修諸家譜』編纂に関わっている)

※『寛政譜』編纂者に吉田與四郎直躬の名あり。「防火隊寄騎 吉田直躬」「定火消御役 戸田内膳 組与力 吉田三郎兵衛 吉田与次郎」とあるので彼のことだろうか?吉田在中とも称した。

※この7人の男子のうち「国之助」「米之助」は諱が記してない。元服前に早世したのではないだろうか?よって成長した男子は5人と考えられる。ここ重要。

 

女子三人

大奥御年寄瀬山

②旗本桜井庄太郎(政忠)妻

③男谷彦四郎燕斎妻(お遊)

(「あと一人の妹がいるが詳しいことはわからない」『勝海舟』勝部真長)

※ なお燕斎の妻「お遊」、燕斎娘「お鶴」(精一郎妻)の女性名の出典は不明だが、おそらくは子母沢寛が男谷氏親族に取材したのではないかと思われる)

 

これらはおそらく『水府系纂』に拠ったものではないかと思われる。新次郎信連の男子が水戸・紀伊尾張徳川御三家の家臣になっていたというのは興味深い。

 

ところで勝部真長氏は『勝海舟』で

とにかく鳩斎は男女十人の子をつくったが、すべて一腹である。妾は置かなかったらしい。

と書いている。ところが男谷新次郎(鳩斎)は妾を置いていたのである。それはちゃんと史料として残っている。

 

1つは『靜儉堂治驗』。著者は片倉鶴陵という医師。

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そこに男谷新次郎の妻の病気のことが書かれている。新次郎の妻36歳。15年で5男3女を産んだという。しかし40歳が近付いてさらに子を産めば命を落とすのではと考え、女中の容貌艶色なるを選んで夫に薦めたという。

夫(新次郎)は妾に夢中になり、妻と寝ることが無くなること6年。妻は嫉妬したけれども自分が薦めたことなので言いせず日々悶々として死ぬことさえ考えていた。医者に診てもらったが効果無く遂に天明3(1783)年12月狂乱を発してしまったという。

そこで片倉鶴陵が治療に当ることになった。そこからが長いので割愛するけど、妻は全快した。

 

もう一つは『産科発蒙』。これも片倉鶴陵の著。

男谷鳩斎妾が妊娠九ヶ月で産門から下血し治療を求めたという。そして「産一男」とあるから妾は男子を産んだと思われる。

 

これがいつのことなのかは記してない。ただ新次郎信連が妾を置いた時に既に5男3女がいた。『勝海舟』(勝部真長)によれば7男3女だが、男子2名は元服前に早世したと考えられるので全て正妻の子だと考えられる。よって妾が産んだ男子はここに含まれていないと思われる。おそらくその男子は天明3(1783)年以降に生れたと考えられる。そして精一郎は寛政10(1798)年生れ。

 

新次郎信連(鳩斎)は文化11(1814)年65歳没なので正妻が発症した天明3(1783)年に34歳。妻は36歳+6年=42歳という意味のように受け取れ、正妻が8歳年長になる。妾を薦めたのもそのせいかもしれない。そして精一郎誕生年に新次郎信連49歳正妻57歳。正妻の子ではないだろう。上の妾が産んだ男子が精一郎かはわからないが、その可能性が高いと思われ、そうでないとしてもやはりこの妾の子ではないかと思われる。

 

※なお、片倉鶴陵は新次郎次男織之助のてんかん(と思われる)の治療もしている。織之助が12歳の時に兄(つまり忠之丞)と凧揚げで遊んでいて下に降りた時に発症。

 

※ところで新次郎正妻の治療を片倉鶴陵に依頼したのは浅沼佐兵衛という人物。

浅沼佐兵衛 多紀家の用人 男谷氏の通家

とある。「通家」とは

1 昔から親しく交わってきた家。つうけ。

2 姻戚関係にある家。

通家(ツウカ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

浅沼佐兵衛という人物は探しても見つからないが、「浅沼佐盈(さえい)」という人物なら見つかる。浅沼佐盈は伊勢出身で医学者山脇東洋の門人。多紀氏は幕府の医官。どう繋がりがあるのかはわからない。

 

とにかく、これらのことから

男谷精一郎が男谷新次郎信連の妾の子である可能性は非常に高い

と思うのである。

 

これで一応おしまい。今までに書いた情報は全て既存の情報を基にしている。だがそれらは今まできちん結び付けられていなかったと思われる。そのために誤った解釈や結論が導き出されてしまっているのだろう。新次郎に妾がいたことは江戸時代の医学史研究では知られていたかもしれないが、維新史等では全く知られていないのではないだろうか?

 

※ 調べる過程で男谷家の人々に関する興味深い話もみつけたので別に書くかもしれない。

 

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