男谷精一郎の父親について(番外)
番外編
(その1)
『幕末実説剣豪秘聞』(流泉小史 昭和5)によれば『海舟先生家系略孝』(高瀬真卿の未定稿)に下総介恒友という人物が登場する。
初代 廉操院(検校)
二代 (小谷)鳩斎 (重蔵改め勝之丞思教〔ひろゆき〕恩教?)
三代 (小谷)下総介恒友 (鳩斎子)(下総守とも)
四代 (男谷)雪松院平蔵(廉操院三男 小谷から男谷に改める)
五代 (男谷)彦四郎燕斎(平蔵長子)
六代 (男谷)下総守信友(彦四郎正嫡)(精一郎)
とあり、下総介恒友は「鳩斎」つまり新次郎信連(「重蔵改め勝之丞思敷」とあるのが謎)の子ということになる。しかしながら『勝海舟』(勝部真長)が記す新次郎の子にそれに該当する人物はいない。説明からは「鳩斎」の嫡男であるように思われ、しかも
故ありて小普請のまゝ暴死し、別に嗣たるべき者とてもなかりしかば、小谷が嫡流こゝに永く絶ゆるこゝとなりたる由也。
とある。しかしもちろん鳩斎(新次郎信連)の子の忠之丞信孝が「男谷」の家を継いでいる。また男谷平蔵は兄の鳩斎の家を継いだのではなく、別に家を興したと考えるのが自然。
鳩斎の男谷家自体も検校の嫡流といえるのか、こっちはそうだも言えるかもしれないけどどうだろうか。『水府系纂』によれば検校は水戸藩から十人扶持を与えられていたというが、こちらも父の後を継いだのではなく「男谷家」を新たに創設した、すなわち初代は鳩斎になるようにも思う。
とすれば、この下総介恒友という人物は実在しないようにも思える。しかしながら、そう簡単に言いきれないのは、『海舟先生家系略孝』に
最初幕臣內藤某について種田派寶藏院流を學びしが、中頃かの木下淡路守利當朝臣(從三位中納言豐臣家定が孫、木下宮內少輔利房が子、備中加陽郡足守二萬五千石)が發明にかゝると傳へらるゝ、木下一流(又は淡路流ともいふ。舊幕時代專ら畿内四國邊に流行せし槍法なり)短槍の利あるを覺りきはめ、切瑳十年の歲月を費して略ぼその妙奧を得、やがて槍法をもつて召出さるゝなるべしなど、噂させらるゝ程精妙の域に達せしも、未だそのはこびに至らざるうち、故ありて小普請のまゝ暴死し、
と下総介恒友の履歴がやけに具体的で詳細なこと。筆者の高瀬真卿は水戸出身のジャーナリスト。もしかしたら何らかの事実が含まれているかもしれない。
そもそも検校の本姓は山上氏、米山を称し、さらに男谷に改ためる。この「男谷」とは何かという問題がある。一般に「男谷の旗本株(または御家人株)を買った」などと言われているが、男谷平蔵以前に幕臣に「男谷氏」は見当たらない。さらに男谷新次郎信連のことを幕臣だと説明するものが古くからあるが幕臣ではなく水戸藩士である。
「男谷氏」は男谷検校が創設した名字の可能性があるけれども、もしかしたらこの男谷(小谷)下総介恒友こそが元の「男谷(小谷)氏」だった可能性があるかもしれない。武士ではあるが幕臣ではないので今まで気付かれなかった可能性があるかもしれない。ただしそうはいっても「下総介恒友」の実在は確かめられないので違うかもしれない。結局のところわからない。
※ なお「鳩斎」を「新次郎信連」ではなく「重蔵改め勝之丞思教」としているのも、実はこの人物は鳩斎とは別人で下総介恒友の父の可能性があるように思われる。
また同じく『幕末実説剣豪秘聞』(流泉小史 昭和5)に
例の高瀨羽皐が未定稿と稱する『海舟先生家系略考』などで見ると、男谷家の先を近江源氏の庶流、佐渡判官高氏に起るとしてある所、乃至舊姓を山上と稱したことなどのそれらは、右同斷であるが、中興の祖を、藤姓、山上與一右衞門秀明となすに於て異り、秀明が庶兄、山上藏人杲恕(あきひろ)を以て初代とし、其三代の孫、善兵衝思安(ひろやす)が時に嗣なかりしかば、廉操院檢校が長子、鳩齋-海舟全集には旭齋としてある-の重藏改め勝之丞思教(ひろゆき)入りて山上氏を繼ぎ、その際絕えたるを興し、廢れたるを復し、再び源姓に還元した上に、尙ほ山上を男谷と改稱したとあり、この鳩齋と呼んだ勝之丞恩教、また其嗣下總介恒友を喪ひ、そのあとをつぐべき子がなかつた所から、實弟の燕齋と云つた平藏孝思を迎へて、家を嗣がしめたとしてある。
とある。「燕齋」は平蔵ではなく子の彦四郎思孝であるなど誤まりがある。だからといってこれも簡単に切り捨てるわけにはいかないと思われ。男谷氏の祖は山上氏で佐々木源氏。ところが藤原姓山上氏が途中に紛れ込んでいる。もしかしたらこの藤原姓山上氏というのが実は男谷(小谷)氏で、それを検校が継承したということかもしれない。
つまり、善兵衝思安-勝之丞思教-下總介恒友が本来の男谷(小谷)氏嫡流であって、検校自身がどういう経緯か不明だが男谷氏となり、あるいは検校の子の新次郎信連(鳩斎)と平蔵兄弟が男谷氏となり、一方、嫡流の方は絶えてしまったということかもしれない。だが確認のしようがない。
※男谷新次郎信連の妻は浪人学者日野吉衛門定年の娘だとされているから、新次郎が婿養子になったという可能性は低い。
※ 今回でおしまいにしようと思ったけど、意外と長くなってしまったので他のネタはまた。