卑弥呼の「卑」

邪馬台国関係の本を数冊読んだんだが知りたい情報がなかなか手に入らない。邪馬台国関連書籍は山ほどあるからそれらを丹念に調べていくしかないんだろうか。難儀な話だ…


たとえば卑弥呼の「卑」。ウィキペディアには、

一説には、中華思想により、他国の地名、人名には蔑字を使っている為に、この様な表記となっている[要出典]。

卑弥呼 - Wikipedia
とある。俺もそうだろうと思う。しかし「要出典」とあって出典が明記されてない。そういうことが書いてある研究書を知りたいのだがわからない。


これはもの凄く重要なことではないのだろうか?


なぜなら卑弥呼の「卑」が蔑字だとすれば、「台与(壱与)」は何?って疑問が当然のように出てくるはずだから。いや俺にとっては当然の疑問なんだが世間一般ではそうでもないのかもしれないが…


ネットで検索すると

蔑視しているのだ。という意見もありますが、ならば卑弥呼の後継者である壹與がなんの蔑字なのか説明できるでしょうか?
日本人が書いたはずの古事記に、卑という文字を使った神が出てくる理由が説明できるでしょうか。

「卑弥呼」という歴史上の人物が居ますが、なぜ「卑しい(いやしい)」という字が... - Yahoo!知恵袋
という意見もあるみたいだけれど、そう単純に考えてもいいものか?


素人考えでざっと思うのは、
○ 魏志倭人伝には依拠した複数の原典があるはずで、それを忠実に記したならば人名や地名の漢字に一貫性が無くてもおかしくないのではないか?
○ 中華思想で蛮国と見做されている土地の名前や人名に蔑字が使われているというのは事実としてあるのではないか?
○「台与(壱与)」は本当に蔑字ではないのか?
○ 蔑字が使われていることと神として崇拝の対象になることとは別の話ではなかろうか?神であると同時に賎しい・野蛮な存在ということは両立しえるのではないか?


(なお「卑」を使用した神については無知なんで思いつかないんだけど「伊邪那美伊邪那岐」の「邪」は「ねじ曲がった」という意味で「蛇」を表現しているんではないかと個人的には思う。「ナギ」は蛇のことだと思ってるし…)


(追記 14:00)

投馬国の「馬」など、当時の中国に馬家という名家があったことを考えると、蔑字とは考えられませんし。

「卑弥呼」という歴史上の人物が居ますが、なぜ「卑しい(いやしい)」という字が... - Yahoo!知恵袋

後漢の成祖光武帝に仕えた将軍馬援や蜀の馬超の馬氏は趙奢の末裔であり、その称号である馬服君の馬をとって氏としたと言われる。

趙奢 - Wikipedia

武霊王の時代に強勢となり、周王の下に封建された諸侯のひとつから周王に替わる王を称するようになった。武霊王は紀元前307年、胡服騎射を取り入れる。胡服とは当時北方の遊牧民族が着ていたズボンのような服のことである。当時の中国では士大夫はゆったりした裾の長い服を着ており、戦時には戦車に乗って戦う戦士となったが、馬に乗るためにはこの服は甚だ不便であった。武霊王は北方の騎馬兵の強さに目をつけ自国にもこれを取り入れたいと考えた。その為には文明を象徴する戦車に乗る戦士であることを誇りとする部下達に、胡服を着させ、馬に直接またがる訓練を施す事が必要である。趙の国人達は強くこれに反発するが武霊王は粘り強く説得を続け、遂に実行する。趙の騎馬兵は大きな威力を発揮し趙の勢力は拡大した。

趙 (戦国) - Wikipedia


「馬家」の「馬」も元を辿れば北方騎馬民族に由来し本来蔑視されるべきものであったけれど、それを漢族が取り入れたってことじゃないんですかね?


あと鴨南蛮の「南蛮」は明らかに蔑語だけれど、鴨南蛮が野蛮な食べ物って意味じゃないし。ちと違うか…