超新説「卑弥呼は死んでない」(その2)

以上のことを踏まえた上で次に進む。


魏志倭人伝には次のように書かれている。

倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人

卑弥呼 - Wikipedia


「卑彌呼以死」の解釈には複数の説がある。

「以死」の訓読についても諸説ある。通説では、「以」に深い意味はないとするか、「死スルヲ以テ」つまり「死んだので」墓が造られた、あるいは、「スデニ死ス」と読み、直前に書かれている「拜假難升米 爲檄告喻之」(難升米が詔書・黄幢を受け取り檄で告諭した)の時点で卑弥呼はすでに死んでいた、と解釈する。この場合、死因は不明である。一方、「ヨッテ死ス」つまり「だから死んだ」と読んだ場合、この前に書かれている、狗奴国との紛争もしくは難升米の告諭が死の原因ということになる。

しかし、卑弥呼が死んだ」ということに限って言えば諸説一致しているし、そこに何の疑問も持っていないのだろう。


しかしである。


現在伝えられている魏志倭人伝には誤字脱字があることは歴史学会の先生方も認めておられる。


とすれば、この記述にも誤字脱字がある可能性があるではないか。


俺が「卑弥呼は死んでいない」というのはそういうことだ。


もう何が言いたいのかわかった人もいるだろう。


実に簡単なことだ。


「卑彌呼以死」は一字抜け落ちているのだ。すなわち



本当は「卑弥弓呼以死」が正しいのだ!死んだのは卑弥呼ではなく狗奴国の王「卑弥弓呼」である!!


という考え方も可能ではないか…