実は、彼女は、邪馬台国の女王ではありません!(と断言するのもなんですから、邪馬台国じゃないかもしれません、くらいにしましょう)
⇒邪馬台国は岡山 - 恵美と嘉樹の歴史ニュース&BOOKウォーキング
ここまではその通りだと思った。卑弥呼は「邪馬台国の女王」ではなく「女王国の女王」なのだと。それでそのことに関してちょっと書いてみようかと思った。
ところが次に
邪馬台国の所在地は、ご存じのように、ややこしいけど、かなり詳しく記載されている。
ところが、女王国については、いったいどこにあるのか、さっぱり分からない。
と書かれていてエッ?っと思った。しばらく考えてこの人は邪馬台国と女王国が「東京都と大阪府」みたいに別の地域にある国だと考えているんだと気付いた。
しかし、通常は「女王国」は女王に属する国(倭国連合)の総称であって、「邪馬台国」はそれらの国が共立する女王が居住している所と解釈するものなのではなかろうか?
魏志倭人伝に「南至邪馬壹國、女王之所都」と書いてある。この「女王」と「親魏倭王卑弥呼」は別人だということだろうか?それはさすがに無理がありはしないだろうか?
倉西裕子氏も
第一に、『魏志』倭人伝では、卑弥呼を女王として擁立して纏まっていた倭諸国三十ヶ国を総称する場合は、「女王国」、もしくは「女王」という表現が用いられています。
⇒卑弥呼は「邪馬台国の女王」か「女王国の女王」か - 歴史問はず語り - Yahoo!ブログ
と書いている。