女王国の正体(トンデモ)

前に、

俺はその点全く無知だけど、現代日本語で読めば「じょおうこく」と「じょこく」である。「じょおう」は「じょおー」「じょー」「じょう」と口語では近いのではないか?倭人が「じょー」などと呼んでいたものを「女王」と表記する可能性だってあるのではないか?

倭国・邪馬台国・女王国(その6)
と書いた。「女王国」とは「女王の統治する国」という意味ではなくて、「やまと・やまたい」を漢字で「邪馬台国」と表記するように、「じょおう」という語を漢字で表記して「女王国」になったのではないかということ。また事実はそうでなかったとしても中国側でそう誤解することはあるのではないかということ。


俺は可能性として十分あるように思うのだが、そういった論議は見かけない。ただし、原田実氏の「扶桑国鬱陵島説」に、

なお、毛利氏は先行する著書で、邪馬台国(邪馬壹国)問題について、魏志倭人伝の「女王国」は正しくは「女国」(『太平御覧』所引『魏志』、『魏略』逸文、『広志』逸文に従う)であるとする。

したがって、卑弥呼が女王とされるのは女国という国号の国の王の意味だから、女性の王とは限らないことになる。

扶桑国鬱陵島説
と、毛利康二という人の主張が取り上げられている。これは若干近いかもしれない。



さて「じょおう」「じょおー」「じょー」「じょう」などということを考えていたら、トンデモな考えが頭に浮かんできた。


日本と「じょ」には深い繋がりがあるではないか!


そう、あの徐福さんである。

司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。

徐福 - Wikipedia


紀元前3世紀、徐福一行は日本列島に到着して定住し倭人の祖となったのだ!
彼らの子孫達は徐福にちなんでこの地を「徐の国」と呼んだのだ!
そのことを知らない漢人が「じょ」に「女」と当て字して「女国(女王国)」になったのだ!


なお「徐」は呉音で「ジョ」、漢音で「ショ」。「女」は呉音で「ニョ」、漢音で「ジョ」である。そのせいで倭人が「ジョ」と呼んでいたのを漢人が「徐」と理解せず、「女」としてしまったのかもしれない。


もちろん徐福が実際に日本に来た証拠はない。それどころか本当にどこかの地の王になったのかさえ定かではない。だがそれはこの際関係ない。倭人がそう認識してさえすればいいのである。現に後の日本には徐福が存在し、蓬莱と呼ばれる土地も実在するのである。2〜3世紀の倭にも「徐福伝説」があったかもしれないではないか。



などということを思いついてしまったのだが、まあトンデモの範疇に入るだろう。でも、少しは可能性あるんじゃないのかなあ…