⇒東京新聞:ドラえもん 生物でない理由は? 麻布中入試 話題の難問:社会(TOKYO Web)
複数の学習塾が公開した模範解答は、自身の成長や生殖という二番目の条件を満たせないから、とする。
さて、この解答は本当に模範になるものだろうか?問題は
<問> 右図は、99年後に誕生する予定のネコ型ロボット「ドラえもん」です。この「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。
である。ドラえもんが「自身の成長や生殖という二番目の条件を満たせない」とは書いてないのである。その代わり「すぐれた技術で作られていても」という条件を出しているのだ。この「すぐれた技術」に「自身の成長や生殖」が含まれていないとどうして言い切れるのだろうか?
「だって漫画のドラえもんにそんなこと書いてないじゃん」という反論があるかもしれない。俺はドラえもんについて詳しくないのだが、もしかしたらそうかもしれない。しかし問題にはそんな説明は一切書かれていないのであり、書かれていない以上、問題から読み取れる情報のみで判断すべきであろう。
さて、ここで史料批判についてであるが、ある史料を読み解く場合、別の史料によって得た情報をその史料の解読に使用するということはよくあることだと思われる。しかし安易に別の史料を他の史料に援用するととんでもないことになる場合もある。
たとえば「天智・天武非兄弟説」だ。
ただし、天武が天智より年上だとする主張は、日本書紀の記述における天智の生年と、日本書紀以外の記述における天武の生年を比較している。同一史料内で天智・天武両者の生年が併記されているものについては、天智のほうが年下と記すものはない。そのため天武が年上とする事を前提とした諸説は、史料の扱い方が恣意的という批判がある。
⇒天武天皇 - Wikipedia
それぞれ別の史料に載っている天智と天武の年齢を単純に比較して天武の方が年上だとしてしまったのだ。
これは在野の研究者の主張であって、真っ当な学者はそんなことはしないとは言い切れないと俺は思う。たとえば豊臣秀吉の前半生は不明な点が多い。『太閤記』や『太閤素性記』『朝日物語』などの少数の史料から推測するのみである。しかし、それらの史料は一級史料とは言えない。現実の豊臣秀吉は一人しかいないが、伝記に見える秀吉はそれぞれ異なった秀吉である。それを安易に結びつけるのは危険だ。ところがそれをしている学者を俺は見たことがある。
ところで「魏志倭人伝」は一つの史料である。しかし「倭人伝」が参考にした史料は複数あるに違いない。それが一つの史料にまとまっているからといって元から一つだったとは限らないのだ。俺が「女王国」にこだわっているのはそれが理由だ。学者の中には「女王国」は邪馬台国を盟主とする倭国連合みたいなことを言って居る人もいる。だが「倭人伝」の元となった史料は、邪馬台国は存在するが女王国については一切書いてない史料と、女王国は存在するが邪馬台国について一切書いてない史料があって、両者が合成されたものかもしれないではないか。
俺が今まで読んだ邪馬台国関連本でそれに注意を払っている学者は一人もいないように思う。