倭国・邪馬台国・女王国(その3)

邪馬台国研究にも中国研究にも詳しくない俺の素朴な疑問は、なぜ「国」の使用法が複数あるのかということだ。


倭国邪馬台国・女王国の「国」はそれぞれが示す範囲が異なっている。遠山氏によれば邪馬台国=女王国になるけれど倭国の「国」とは異なる。またなぜ邪馬台国と女王国という二つの表現があるのかも謎だ。


ただし、日本人にとっては「日本国」という「国」と「大和国」「尾張国」などの「国」と二種類の「国」を普通に使用しているので違和感を持たないのかもしれない。


この感覚は中国でも同じなんだろうか?無知なんでわからない。


三国志』は西晋陳寿の著作であり中国側の視点で書かれている。日本の「クニ」の概念を律儀に反映して「クニ」を「国」と記す必要は無いだろう。別の表記をしたって良いはずだ。


そう考えると、俺なんかは「倭国」「邪馬台国」「女王国」はそれぞれ出典が違うのではないか?陳寿は元の史料に「国」と書いてあるから、「国」の定義を一義的にしないで、元の史料に忠実に「国」と表記したのではないか?なんてことを考えてしまうのだが、そういうことを詳しく論じているものがあるのか知らない。