倭国・邪馬台国・女王国(その2)

邪馬台国研究が現在どうなっているのか調べようと思って読み始めた一冊目。『改訂新版 卑弥呼誕生』(遠山美都男 講談社現代新書 2011)

魏志倭人伝には「女王国」という表現が散見するが、これは倭国全体を指すのではなく、女王卑弥呼の王宮が営まれていた邪馬台国のことを限定的に指す用法のようである。

37ページにこう書いてある。この新書は222ページまであるけれど、ここで早くも先に進めなくなってしまった。「女王国」とは「邪馬台国」のことだというのだ。


一方、倉西裕子氏のブログには、

 第一に、『魏志倭人伝では、卑弥呼を女王として擁立して纏まっていた倭諸国三十ヶ国を総称する場合は、「女王国」、もしくは「女王」という表現が用いられています。

卑弥呼は「邪馬台国の女王」か「女王国の女王」か - 歴史問はず語り - Yahoo!ブログ
と書いてある。そして俺もそう思う。


これはとても重大な違いだ。一体どうなっているのだろう?


まだ先を読んでいないのだが、この重大な違いをほっておいて先に進んでしまっていいのだろうか?