倭国・邪馬台国・女王国(その8)

『改訂新版 卑弥呼誕生』(遠山美都男 講談社現代新書 2011)【第五章】は要約すれば、


(1)「女国」(女性だけが住む想像上の国)
    ↓
(2)「女王国」(女王によって統治される国)
    ↓
(3)「倭国」(男王の傍に特別な女性がいる)=「女国」=「女王国」


ということになるだろう。俺の考えと似ている部分もあるが違う部分もある(なお俺がこの前の記事を書いたときには第五章を未読だったのでパクったのではない)。


俺の考えとの最大の違いは俺は卑弥呼が女王だったと考えていることで、こっちが通説。ただし卑弥呼が女王であろうとなかろうと日本列島に「女王国」があると考えられた理由は卑弥呼がいたからということになるから、この際それは問題ではない。


それよりも、重要な違いは、遠山氏は「女国」から「女王国」への変化に倭国の存在が関与していないと考えていること。俺は「女国」から「女王国」への変化は倭国に女王がいたからだと考えている。


ところで「女王国」は「女王によって統治される国」だ。これは一代限りということではなくて「代々女王が統治している国」という意味であろう。


魏志倭人伝」によれば元は男王が統治していたが、その後に乱れて女王を共立したとある。それが卑弥呼だ。これが事実だとしたら卑弥呼の時代の前には「女王国」ではなかったはずだ。また、俺は卑弥呼は死んでない説を主張しているが通説では、卑弥呼の死後に男王が立てられたとある。これまた「女王国」ではない。


遠山説の場合は「女国」から「女王国」の変化に倭国は関係ないから良いのだが、俺の説はその点で不利である。だが、全く駄目かといえばそんなことはない。『三国志』はゼロから書かれたものではない。複数の史料が原典になっている。原典の作者が倭国の事情に詳しければ「女国」から「女王国」への変化は起こらないだろうが、そうでなければ倭国卑弥呼がいることをもって代々女王が統治しているのだと思い込むことは可能性としてあるのではないか?


というわけで遠山説も俺の説もどちらも可能性としてはあるように思える。ただ俺の場合重要だと思っているのは「魏志倭人伝」には倭国の事情をよく知らないで書かれた史料と、倭国の事情を知っている(といっても相対的にだが)史料が混在しているのではないかという点なのだ。そして「女王国」は倭国の事情をよく知らないで書かれた史料が元になっているのではないかと思うのだ。さらにそこから「女王国」は邪馬台国とも倭国連合ともピッタリ重ならないアバウトな領域なのではないかという推理もできるのではないかと思っているのだ。


※ なお遠山氏は「女国」を「女性だけが住んでいるパラダイス」と書いているけれど、それはどうだろう?「女性だけが住んでいる」といえば「羅刹国」や「アマゾネス」などを連想するがそれはパラダイスとは普通言わないと思う。「女国」もそのようなものではなかろうか?
羅刹国 - Wikipedia