黒歯国と女国と羅刹国

羅刹国(らせつこく)は、玄奘三蔵法師)の著作『大唐西域記』に言及された羅刹女の国である。後に近世以前の日本人は日本の南方(もしくは東方)に存在すると信じていた。
大唐西域記 [編集]

大唐西域記』11巻[1] 僧伽羅国(シンガラ)においてセイロン島(現スリランカ)の建国伝説として記述される。500人の羅刹女のいる国に難破して配下の500人の商人とたどりついた僧伽羅は1人命からがら逃げ出すも妻にした羅刹女が追ってきたので、羅刹国の羅刹女と国王に説明するも信じてもらえず、国王の他多くの者が食べられてしまう。そこで僧伽羅は逆に羅刹国に攻めこみ羅刹女をたおし、そこの王となり国名にその名がついたという。

羅刹国 - Wikipedia


「羅刹」とは悪鬼のことで「羅刹女」は鬼女。「羅刹国」がなぜ「羅刹国」なのかといえば「羅刹女」の国だから。


すっとそう思っていた。いや、それで間違いではないのだけれど、見落としていたことがあった。

女の羅刹。鬼女。仏法を守護する十羅刹女もある。

らせつにょ【羅刹女】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
とある。


問題は十羅刹女

法華経に説かれる10人の羅刹女。初め、人の精気を奪う鬼女であったが、のちに鬼子母神らとともに仏の説法に接し、法華行者を守る神女となった。藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)・曲歯(こくし)・華歯(けし)・黒歯多髪・無厭足(むえんぞく)・持瓔珞(じようらく)・皐諦(こうたい)・奪一切衆生精気。十羅刹。

じゅうらせつにょ【十羅刹女】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


ここに黒歯とあるではないか。


羅刹国は女だけの国、すなわち「女国」である。それと「黒歯」がこんな形で結びついているとは驚きだ。


玄奘大唐西域記』は成立は646年、「魏志倭人伝」の『三国志』は280-297年頃に書かれたものだ。なお法華経玄奘が訳したものであり、鳩摩羅什は「施黒」と訳している。
十羅刹女 - Wikipedia


普通に考えれば「黒歯国」が先で、羅刹女の「黒歯」が後だろう。玄奘は単純に「歯牙が黒い」ということで「黒歯」と訳しただけで、たまたま「黒歯国」と同じになったということだろうか?それとも「黒歯国」を念頭に羅刹女のマクタ・ダンティーを「黒歯」と訳したのだろうか?


俺は後者の可能性が十分あるように思う。だとすれば「黒歯国」と「女王国(女国)」は「魏志倭人伝」では別の国として記されているけれど、両者は同じものだとする考え方があった可能性もあるように思える(玄奘が結びつけた可能性もあるけど)。



ところで『大唐西域記』が玄奘の創作でないとすれば(おそらくそうだろう)、当時のインド・スリランカ地方に「女国」伝説が存在していたということになる。セイロン島はインドの東南に位置する。その点でも中国の伝説と類似している。


※ なお「女国」は中国の東方以外にもある。
しかし、それよりも遥かに古いギリシアのアマゾネス伝説ではやはりアマゾネスの国は東方にあることになっている。逆に新しい日本の「女護島」は八丈島のこととされ、日本の中央から見ればやはり東南にある。中原の東方にない「女国」も本来はその地域より西方の地域の伝説が取り入れられた可能性があるのではないかと個人的に思う。


史料上に現れる「女国伝説」は中国の方が先だけれど、だからといってインド・スリランカの方が後とは限らないし、中国の伝説が取り入れられたとも限らない。またギリシャの伝説がそれぞれ別個に伝来した可能性もあるだろう。


インドの東南海上に女だけが住む「羅刹国」という「女国」があり、十羅刹に黒い歯を持つ羅刹女がいたということは、「魏志倭人伝」は『大唐西域記』の成立する以前に書かれたとはいえ、謎を解明するためには重要な問題を孕んでいるのではないかと思う。


だが、恐らくそういうことを認識している人はあまりいないだろう。