超新説「卑弥呼は死んでない」(その1)

歴史学的にはともかく邪馬台国論争は本能寺の変などと並ぶ日本史の人気テーマの一つである。


ただし古くから人気のあるテーマなので新説は出尽くした感がある。作ろうと思えば邪馬台国が南米にあったとか火星にあったとかいくらでも作れるけれど、それなりの説得力がある新説はもう出ないのではないかというのが大方の見方だろう。5年以上前だったと思うけれど原田実氏が2ちゃんねるに降臨したときに聞いてみたのだが、氏の意見もそのようなものだったと記憶している。しかし、俺はその時点で画期的な新説を妄想していたのであった。それが「卑弥呼は死んでない」というものだ。


いつか書こうとは思ってたんだけれど、あまりにもアレなんで先延ばしにしてたんだが、もう書いちゃうことにした。


話は実に単純なことだ。あっという間に説明できる。ただし、その前に少しだけ「邪馬壹国説」について。

魏志』(魏志倭人伝)の原本はどれも例外なく邪馬壹国か邪馬一国となっている。これを邪馬台国とするのは根拠に乏しい。『後漢書』などには邪馬台国とあるものの、『梁書』の例もある通り「魏志倭人伝」以外の全てが邪馬台国というわけではなく、邪馬台国が正しいとする根拠にはならない。

邪馬壹国説 - Wikipedia


といっても誤解を招くかもしれないので最初に断っておくが、俺は古田武彦氏の主張を支持するものではない。その逆だ。古田説に対する批判をネットで調べたところ次のような記事が見つかった。簡潔なので利用させてもらう。

1) 「三国志」は3世紀の末頃出来たものである。古田氏の言う南宋の本は12世紀のものである。原本ではない。

2) 3世紀から12世紀に至る9世紀の間に「後漢書」等幾つかの歴史書が編纂されており、それらの全てに「邪馬臺国」とある。従ってこれらの歴史書が参考にした「三国志」(3世紀から9世紀の間のもの)では「邪馬臺国」としていたはずである。
3) 邪馬臺(壹)国や臺(壹)与を論争しているのに、三国志全体ではこれらの字はたった1回しか出てこず、残りは邪馬台国に無関係は臺や壹で、これらを調べて論議するのはおかしい。

「邪馬臺(台)国はなかった」論争


その通りだと思う。12世紀の本に「邪馬壹国」とあるからといって、元からそうだったと決め付けるわけにはいかない。「邪馬壹国」が正しい可能性は無いとはいえないが、諸々のことを考えると「邪馬臺国」が正しいと考えるのが妥当だろう。



ところで、このことは重要な意味を持っている。


現存する『三国志』には「壹」と「臺」に限らず誤字がある可能性が高いということだ。


もちろん安易に「これは誤字なのだ」といって史料を都合良く改竄して解釈するのは好ましいことではないが、だからといって現存する『三国志』が一字一句原本通りだと決め付けるわけにもいかないのである。


現に俺の持っている『新訂 魏志倭人伝 他三篇』(石原道博編訳 岩波文庫)にも

那珂博士の説にしたがえば、投を胊の誤りとし、すぎ(杉)とする。

などといった解説がある。学者も誤字があることを前提にして魏志倭人伝の解釈を試みているのである。


もちろん誤字があるなら脱字がある可能性もある。前掲書では「奴国」について

重出。□奴国とあったのを誤脱したのではあるまいか。不詳。

との解説がある。


したがって、魏志倭人伝の記述に誤字脱字があるとして、本当はこう書かれていたのだとすれば、まだまだ新説が登場する余地は十分にあると思うのだ。


(つづく)