クロカンとヤマカン

2014年の大河ドラマは『軍師官兵衛』だそうだ。黒田官兵衛については前々から気になっていることがある。


それは、官兵衛が片目だったという話

1578(天正6)年には信長に叛旗を翻した荒木村重を説得すべく摂津有岡城に入ったものの、説得に失敗した上、城内の狭隘な土牢に幽閉される。翌年の有岡城落城とともに救出されるが、片目を失った上に足が萎え、以後、歩行に杖を必要とした。

大河ドラマ&時代劇 登場人物配役事典


ところが、足が不自由だったというのは何冊かの本で確認した(史料での確認はしていない)けれど、片目だったという話がどうしても確認できないのだ。官兵衛は本当に片目だったのだろうか?


黒田孝高 - Wikipedia
の画像を見ても両目が開いているし、おそらく片目では無かったのではなかろうか。


ただ、事実か否かはともかく、俺が知りたいのは片目だという説がどうして存在するのかということだ。近代の小説や映画・ドラマなどで作り出されたイメージなのかもしれないが、江戸時代に既にそういう説があったのなら非常に興味深い。


なぜかといえば「片目片足」伝説と関係あるのではないかと思われるからだ。


「片目片足」の武将といえば山本勘助が真っ先に思い出される。山本勘助黒田官兵衛には共通点が多い。

  • 勘助は「片目片足」とされることが多いが『甲陽軍鑑』では片足ではなく足が不自由だとされている。官兵衛は片足だけ不自由なのか両足が不自由なのか不明だが、片目で足が不自由だという点で一致する。
  • 勘助の出自には複数の説があるが三河国宝飯郡牛窪との関係が指摘されている。牛窪は「牛久保鍛冶」として知られる地である。官兵衛の黒田氏は一般に近江出身と言われるが、播磨の出だという説もある。しかし備前福岡に係わりがあることは確かである。備前福岡福岡一文字備前長船などの刀鍛冶で有名な地である。
  • 山本勘助は「ヤマカン」の語源になったという説がある。黒田官兵衛は「クロカン」という(「なお「黒勘」は黒田勘解由の略)。

そんなわけで非常に気になるので前々から片目のソースを探しているのだが未だに見つけることができない。