後白河法皇の命で編まれた『梁塵秘抄』の中に「一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内の宮、隼人崎、北や南の神客人、艮御崎(うしとらみさき)は恐ろしや」と詠まれている艮御崎とは温羅の魂の事であるという。ちなみに御崎とは御前神(みさきがみ:お使いの神)を意味すると思われる。
新宮は吉備津彦命の弟・若建吉備津彦命の三世の孫で、日本武尊東征の副将として随行した吉備武彦命を祀り、
本宮は吉備津彦命の父君・孝霊天皇と母君である妃・倭国香媛および皇后の細媛命(くはしひめのみこと)を祀り、
内の宮は吉備津彦命の妃・百田弓矢姫命を祀る。
隼人崎は同名の社が無いが、吉備津五所明神の一として重要視される岩山宮のことか。
吉備国の国魂、建日方別命(『古事記』によると、国生みによって生まれた島々のうち、吉備児島につけられた神名)を祀る。
神客人は南北随神門の随神、艮御崎は、本殿外陣の東北隅に祀られている温羅とされる。
丑寅の方位は鬼門と呼ばれてるくらいだから、まさに温羅が祀られるに相応しい方位ですね。
で、これから先は温羅とは全く関係無い話。「一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内の宮、隼人崎」の「隼人崎」について。
上の記事では「岩山宮のことか」とされていて、それも一理あるかなとは思うんだけれど、
⇒『吉備と蝦夷』は? 『日本武尊』は『吉備』の人?
という記事では「有木集落」のことではないかと指摘されている。これが実に興味深い。鹿児島県南さつま市大浦町に「有木」という集落があり、その他「有木」と「隼人」は関係がありそうだというような話(なお「隼人 有木」で検索するとこの人の記事がいっぱいヒットする)。
ところで、またまた話は大きく変わるけれど、この「有木」というのは、昨日の大河ドラマで藤原成親が流罪にされて死んだところ。
⇒藤原成親(ふじわらなりちか)遺跡
⇒藤原成親 - Wikipedia
成親の子の藤原成経もこのあたりに流された。更に薩摩の鬼界ヶ島に流された後に赦免。
⇒藤原成経 - Wikipedia
(鬼界ヶ島に流されたのが隼人つながりか?ってのは考えすぎかもしれないけれど)
成親が死んだのが安元3(1177)年。成経が赦免されたのが1178年。『梁塵秘抄』が後白河法皇により編纂されたのが治承年間(1180年前後)。
⇒梁塵秘抄 - Wikipedia
なんてとりとめのないことを書いてみた。
(追記)
備後一宮吉備津神社(広島県福山市)の宮司は有木氏(有鬼氏)であった。
⇒備後・鳶尾城(城郭放浪記)
「有鬼」って表記が興味深い。