邪馬台国と女国(その4)

考察しなければならないことはまだまだある。


たとえば卑弥呼の死後のことだ。俺は再三言っているように「卑弥呼は死んでいない」ということをおそらく世界で只一人主張しているわけだが、定説では卑弥呼が死んだ後に「男王」が立てられたことになっている。


彼はどこに居住していたのだろうか?


この際、江戸時代の大奥にならって卑弥呼の居住していた祭祀空間を「奥」、男弟の居住していた空間を「表」とする。


男王が卑弥呼の職務をそのまま受け継いだとしたら、彼は「奥」に居住していたということになるだろう。その際「表」は誰が担うことになるのだろうか?


(また「婢千人」は女王だからこそなのかもしれない。男王が卑弥呼の職務を受け継いだ場合にも「奥」は女性だけなのだろうか?)


もちろん男王が「表」と「奥」を兼務していたのかもしれない。ただし体は一つだから寝る場所はどちらかだろう。


そうではなくて、男王は「表」に居住していたという可能性もある。その場合「奥」はどうなるのだろうか?「奥」はあくまで倭国大乱を鎮めるために必要だからあったのであって役割を終えたのかもしれない。その場合「婢千人(千人じゃないかもしれないが)」はどうなるのだろうか?解雇されたのだろうか?「狥(殉)葬者奴碑百餘人」とあるから死んでしまったのだろうか?


男王になってもそのまま残されたのかもしれない。その場合は単なる機関として男王に奉仕したということになるのだろうか?それとも卑弥呼の後を継いだ二代目卑弥呼(台与であろう)がいたが、しかし彼女は女王ではなかったということだろうか?そして男王が廃された後に女王になったということだろうか?


これもまたあまり議論されているようには見えないのである。