「正史」(その3)

Kan Kimura ‏@kankimura 6月15日

註2:実録と正史の違いがわからない人が多いと思います。基本的に「実録」は国王の治世を編年体で記した公的記録。「正史」は王朝全体の公的な記録、です。例えば、明治以降の日本には「実録」はあっても、「正史」はありません。何故なら「王朝交代」がないからです。

kazuto hongo ‏@diamondfloor41 6月15日

これは誤りだと思いますが。明治時代、六国史以降の正史の編纂をしようとはしたのです。ですが、もろもろの事情があって中止になり、史料の編纂を始めました。@kankimura 例えば、明治以降の日本には「実録」はあっても、「正史」はありません。何故なら「王朝交代」がないからです。

Kan Kimura ‏@kankimura

@diamondfloor41 それは「正史」の定義の違いかも知れませんね。

https://twitter.com/kankimura/status/345911184614109185


「正史」とは国語辞典によると、

[1] 国家によって編纂(へんさん)された正式の歴史書
⇔外史
稗史(はいし)
[2] 中国の紀伝体で書かれた歴史書。特に「史記」を初めとする歴史書二十四史をさす。これに「新元史」を加えたものを二十五史とよぶ。

「せいし【正史】」 の意味とは - Yahoo!辞書
と二つの意味がある。


この「定義の違い」について。


「中国の紀伝体で書かれた歴史書」のうち『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『南斉書』『南史』『北史』は国家によって編纂されたものではない。
「正史」も「稗史」も読まない人の史論 - 枕流亭ブログ


よって[1]と[2]は全く異なる定義ということになる。これは「汽車」が日本では蒸気機関車や鉄道の列車のことを言うのに対し、中国では自動車のことを言うという程に差があるといえるだろう。ただし日本においては「汽車」に自動車という定義はない。一方「正史」は日本で両方の意味で使われる。


しかし両者が無関係かといえばそうではなかろう。『日本書紀』を「正史」という場合、中国の「正史」が念頭にあるのはまず疑いない。だが日本に王朝交替はないので、中国の正史とは異なる。


ではなぜ『日本書紀』などを「正史」と呼ぶようになったのだろうか?誤解から来たものなのか?それとも知った上で日本流の「正史」の定義によってそう呼ぶのだろうか?


(つづく)


※ なおツイッターの会話の流れを見れば、木村幹氏が[2]の定義による「正史」の説明をしているところに本郷氏がカチンときて「誤り」だとつっこんでいるようにしか見えない。