「正史」(その5)

引き続き『六国史』(坂本太郎著作集第三巻 吉川弘文館)より、

 室町時代に現れた六国史の名は、江戸時代では、広く行なわれ、普遍的なものとなる。
(中略)
もっとも稀に、六国史のほかに「六正史」「六史」などという場合もある、谷秦山の秦山集には、そういう呼称が見えている。

江戸時代に稀に「六正史」という呼称があったという。


ここまでが『六国史』「一 総説 (一)六国史の名義」。次のページをめくると

(二) 六国史の分類
 六国史には、共通の性格が少なくない。
 第一は、勅撰の正史ということである。

とある。いきなり「正史」という言葉が出てくる。「正史」とは何かという説明はない(「国史」とは何かについてはかなり説明していたにもかかわらず)。


おそらく「勅撰」の歴史書だから「正史」ということなのだろう。これは

[1] 国家によって編纂(へんさん)された正式の歴史書

「せいし【正史】」 の意味とは - Yahoo!辞書
と一致する。


だが、その「正史」の定義はいつ誰が作り、どの程度普及していたのかということが全くわからない。まるで「正史」の定義は「勅撰の歴史書」だというのが決まりきったことであるかのようだ。しかし「正史」と呼ばれるものは「国史」と呼ばれてきたことは坂本太郎自身が説明していることだ。


江戸時代において「六正史」という呼び方が稀であったことも同様だ。ただしそれは六国史を六正史と呼ぶことが稀ということであろうから、「六国史は正史である」とか「日本書紀は正史である」とかいった説明が江戸時代においても盛んに言われていた可能性はあるかもしれない。そこが知りたいのだが、この本ではわからない。


ただし、「正史」についての説明がほとんどないということ自体が、坂本太郎がそのことに関心が無かったのであろうことを示唆しているようにも思われる。

坂本 太郎(さかもと たろう、1901年(明治34年)10月7日 - 1987年(昭和62年)2月16日)は、日本の歴史学者東京大学國學院大學名誉教授。文学博士(1937年・東京帝国大学)。専門は日本古代史。静岡県出身。

坂本太郎 (歴史学者) - Wikipedia


坂本太郎東京帝国大学に入学したのが大正十二年。『六国史』の初出が昭和45年。この頃には「正史」の定義が「国家によって編纂された正式の歴史書」ということに「歴史学界では」なっていたのだろう。


しかし、それ以前もそうだったとは限らない。またその頃だって「正史」の定義がそれに限定されていたとも限らない。


なんといっても中国の「正史」は王朝交替・易姓革命と密接な関係があるのだ。戦前の日本はそのことを気にしなかったのだろうか?また気にしなかったのだとしたら、それはそれで興味深いではないか。