NHK受信料問題は民主主義にとって非情に深刻な問題

放送法は受信設備を設置したものから一律に受信料を徴収することを認めている。


テレビを所有していればNHKを見ることが可能。NHKを見ているのかいないかということを確認する手段が無ければ「うちはNHKを見ていない」と言われればどうすることもできない。地上波放送しかなく、なおかつテレビ放送が国民の情報収集および娯楽において大きな位置を占めていた時代には「見ていない」と主張する人達の中に実際は見ている人が多数含まれているだろうという推測ができる。また本当に見ていなかったとしてもNHKの放送は公共性が高いということで、公益に対する負担という考えも成り立つかもしれない。


放送法はそういう時代に成立したものである。だが現在はそういう時代ではない。スクランブル化すれば受信料を払わない世帯は放送を見ることができない。


スクランブル化は「公共放送の理念と矛盾する」などという言い訳をしているみたいだが、ここでいう「公共」とは何なのだろうか?確かに災害情報などではNHKは重要な役割を果たしている。それを「公共」というのなら、そういう放送だけはスクランブルを解除すればいいだけのことだ。


ドラマやバラエティやスポーツ番組なども「公共」と呼ぶのだろうか?それは「公共」の拡大解釈だと思うが。まあ呼ぶことは不可能ではないのかもしれない。しかし衛星放送を「公共」と呼ぶのは、さすがに「公共」概念の乱用であるとしか思えない。


憲法問題において公益のための私権の制限というのは重大な問題点となっている。民主主義社会において「公益」は必要なものだが、それを拡大解釈し乱用することは民主主義を破壊することにつながる。


NHKがやっていることはまさに民主主義を破壊に導く行為である。


本当に、本当に、本当に、これはとてつもなく重大な問題なのだ。


NHK問題はそれなりに盛り上がってはいるけれども、事の重大さから考えれば、信じがたいほどに盛り上がっていない。


なぜ盛り上がらないかといえば、収入のある人は仕方がないと受け入れて受信料を払い、低収入の人は「不払い」という手段で抵抗しているからではなかろうか。受信料は現在、地上契約12ヶ月口座・クレジットで13,600円。この程度なら中流家庭にとってはそれほど負担ではない。だが時給800円程度で生活している者にとっては17時間分の賃金に相当する。1日8時間飲まず食わずで2日働いても受信料にならない。しかも衛星契約だと24,090円だ。30時間以上働かなければ受信料にならない。


いまどき安いワンルームマンションでも共同アンテナで衛星放送が見られるようになっている。そしてテレビ本体もデフォルトで衛星放送が見られるようになっている。B-CASカードを装着しなければ見れないが、装着していなくても受信契約しなければならないとNHKは主張する。衛星放送の公共性が高いとは到底思えないにもかかわらず、電波を押し付けて受信料を徴収するというのは無茶苦茶である。食費を節約し衣服も粗末なものしか買えないというのに、なぜ衛星放送などという贅沢品を見たくもないし見てもいないのに大金を払わなければならないのか。当然「不払い」の人が増えるであろう。貧しくても正しく生きたいと考える人をそうせざるを得ない状況に追い込むのだ。


これもまた民主主義に不可欠のモラルを破壊する事態であろう。