シニスムを浸透させることに成功した内田樹先生

あとひとつだけ。

誰もが嘘をついている。私もついているが、お前たちもついている。だから、誰もその嘘を咎める権利はない。
このシニスムが深く浸透すれば、いずれあらゆる「国民の歴史」を、自国の歴史でさえ、誰も信じない日がやってくる。
彼らがめざしているのは、そのことなのである。
「国民の歴史」とはどこの国のものも嘘で塗り固められたデマゴギーにすぎないという判断が常識になるとき、人はもう誰も歴史を学ぶことも、歴史から学ぶこともしなくなる。
そのとき国民国家は終わる。

歴史記述について (内田樹の研究室)

1 ギリシャ哲学で、キニク学派がとった立場。
2 社会の風潮・事象などを冷笑・無視する態度。冷笑主義。シニスム。

シニシズム【cynicism】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


この記事で内田先生が「橋下」という人物に仮託して語っているのは、実のところ現実の橋下氏ではなくご本人のことなのだということは昨日書いた。


実際に内田先生の周囲の間にはシニスムが深く浸透している。


内田先生が「自虐史観」という言葉を間違って使っていると指摘した記事。
池田信夫 blog : 内田樹氏の語る「自虐史観」 - ライブドアブログ


この記事のコメント欄。

これ、自虐史観の部分は敢えて、正・負の部分をひっくり返していますよね。

内田樹さんって本を売るために面白おかしく物言ったり書いたりしてるだけでしょ

おそらく内田氏の言いたいことは、自虐史観論者は自分を自虐史観と思っていないから、自虐史観だと批判する保守派が自虐史観論者だ!と言いたいのではないかな?

例えば、内田論を好きとか嫌いはあるにせよ、内田某には此処での「自虐史観」は通常の視座とは真逆に視ているのだと思いますよ。それはそれで、彼が得意とする諧謔と皮肉が生きている。

これらのどこに根拠があるのだろう?


内田先生は単に間違ったという可能性が一番高い。いや、万一そこに深い理由があってあえてしているのだとしても、本当に間違えたのと全く見分けがつかない。


まさに、「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」である。


ところが内田先生がおっしゃることは、間違いではなくて、何らかの意図により発せられたものなんだそうだ(面白おかしくというのも含め)。なぜ、それが見分けられるのか俺にはさっぱりわからないが。


(ちなみに、この手の主張は内田樹を批判する記事ではおなじみのものだ。俺のところにも来たし、内田批判をしている記事を読んだときに、この手のコメントが書かれているのを何度も何度も見たことがある)


こういうことを言う人には俺の持っていない特別な能力が備わっているのだろうか?


俺の見るところでは、これらの人達に備わっているのはそんな特別な能力ではない。彼らに備わっているのはシニスムだ

誰もが嘘をついている。私もついているが、お前たちもついている。だから、誰もその嘘を咎める権利はない。
このシニスムが深く浸透すれば、いずれあらゆる「国民の歴史」を、自国の歴史でさえ、誰も信じない日がやってくる。
彼らがめざしているのは、そのことなのである。
「国民の歴史」とはどこの国のものも嘘で塗り固められたデマゴギーにすぎないという判断が常識になるとき、人はもう誰も歴史を学ぶことも、歴史から学ぶこともしなくなる。
そのとき国民国家は終わる。

ここに書かれていることは、そっくりそのまま内田先生の周囲で起きていることにあてはまる。


彼らは内田先生の言っていることを咎めない。そして内田先生の言っていることから学ぶこともしない。彼らは内田先生の言っていることを正面から受け止めるのではなく、彼らの持つ謎の特殊能力で変換して、彼らによる彼らのための「内田先生」を創造して、その「内田先生」を理解しているのである。すなわち「万人の内田先生」がいるのである。

誰もが嘘をついている。だから私も嘘をつく権利がある。そして、公正にも万人に「嘘をつく権利」を認める。
彼らはそう考えているのである。

全くそのとおりである。「彼ら」とは内田先生の周囲にいる人達のことである。こうなればもはや対話は成立しない。「私」の内田先生と「あなた」の内田先生は両方とも「嘘」で別のものだからだ。よって対立も生じない。

(実際は対立しているからこそコメントを書くわけだが、彼らは根拠を示さない、すなわち共通認識を作り上げようとしないのだから一方通行になるだけである)


これは内田先生おっしゃるところの

「持続的・汎通的な正否の判定基準はこの世に存在しない」という道徳的シニスム

に他ならない。


この状態が内田先生によれば、「障壁」をなくしてグローバル化に即応するのに適したものであるということだから、すなわち内田先生はグローバル化推進の手助けをしているのであり、しかも既に十分すぎるほどの実績をあげた大功労者なのである。