北条氏康書状について(その15)

とても重要なことなので何度でも書くけれど北条氏康文書は

如来札、近年者遠路故、不申通候処、懇切ニ示給候、祝着候、

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、

殊岡崎之城自其国就相押候、駿州ニも今橋被致本意候、其以後、萬其国相違之刷候哉、因茲、彼国被相詰之由承候、無余儀題目候、

就中、駿州此方間之儀、預御尋候、近年雖遂一和候、自彼国疑心無止候間、迷惑候、

抑自清須御使并預貴札候、忝候、何様御禮自是可申入候、委細者、使者可有演説候、恐々謹言、

と、前後の挨拶を除いた本文は「仍」「殊」「就中」で三つの文に分かれている。、


そうなっている以上、一つの文の中でこそ強い繋がりがあるのであって、一つの文の前半部だけをぶったぎって前の文とつなげて解釈するなんてことは無茶苦茶だ。


そんなの常識的なことではないだろうか?いや古文苦手な俺が常識を語るのもどうかと思うけれど、古文だろうが現代文だろうが、そこに違いはないと思う。


なのに歴史学者がその常識をわかっていないように見えてしまう。ということは俺が常識だと思っていることは本当は常識ではないのか?しかしいくら考えてもこれは基本中の基本の常識だと思う。


可能性として考えられるのは、そもそも本文が「仍」「殊」「就中」で三つの文に分かれているということに気づいていないのではないかということ。ただそれはそれでお粗末なことではなかろうか?


もちろん俺はド素人で相手は専門家だ。ド素人の俺が専門家が間違っていると思っても、簡単にそれを断言してしまうとトンデモの暗黒面に落ちてしまう。しかし何度考えても歴史学者が基本的なことでミスしているとしか思えないのだ。いやだからといってまだ断言できるほどの自信があるわけではないけれど…