北条氏康書状について(その8)

次に

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、

について。これが氏康文書でもっとも論議されている部分だ。


ここでは「駿州無相談」と書いたけれど、村岡幹生教授はこれを「駿州被相談」と読む。

相談せられ(原文「被相談」) 『神奈川県史』や愛知県史は『中世3』などは「無相談」と読んでいるが、以前に指摘したとおり、文字自体は間違いなく「被」である。また原本に「無」とあったものが『古証文』収録時に「被」と誤写されたとみて、「相談無く」が元々の文意であると判断するのも正しくない。

「被」「無」の草書体は似ることがある。この文書中の他のくだりで「被」は何度も用いられ、「無」も二度用いられている。『古証文』原本にあたってそれらと比較するに、『古証文』筆記者が当該箇所を「被」と書いていることは明らかである。

しかしながら、
川戦:安城合戦編⑪漢字パズルⅠ(安城市史における「被相談」について)
川戦:安城合戦編⑫漢字パズルⅡ(無の読み方)
を見るに『文字自体は間違いなく「被」である』と言い切ることができるとは俺には到底思えない。それどころかむしろ「無」に近いのではないかと思える


はっきり申しあげて俺は村岡教授の学者としてのモラルを疑う。教授にはこの字が「被」に見えるのだろう。それは別に構わない。本当に「被」なのかもしれない。だが『筆記者が当該箇所を「被」と書いていることは明らか』なんて言いきるのは学問的態度ではないと思う。


※ 俺がここで言っているのは「何事にも絶対はない」というような意味ではない。それは当然のことではあるけれど、何か書くたびに一々「絶対ではない」と注記していてはキリがない。そんなレベルの話ではなく普通に「被」ではなく「無」である可能性が十分にあるのであって、それを認めた上で「被」説を主張するべきだろうということ。


※ なお『古証文』は原文の字体を忠実に再現することを重んじていると思われ「写本」というより絵画の「模写」に近いのではないか。「模写」は字が読めなくても可能だ。たとえば俺は海外のミュージックビデオを見るのが趣味だが、漢字を知らない欧米人が漢字を模写したものがそこに出てくる。何という漢字なのかも知らないだろうし意味もわかっていないだろう人が模写しているので、日本人から見れば微妙な違和感があるものになってしまっている。『古証文』筆記者も原本が「無」なのか「被」なのか読めずに、それでも忠実に模写しようとした可能性を考えなければならないだろう。そしてその場合原本に忠実であろうとしても微妙に異なってしまう可能性も考慮しなければならないだろう。



で、既に書いたように俺にはこれは「無」に近いように見える。しかしながらもちろん「被」の可能性もあるのであって、俺は「明らか」などとは言わない。


ところでこの部分を解読するには『古証文』の文字を見つめ続ける以外に手段は無いのだろうか?


(つづく)