北条氏康書状について(その13)

さらに引き続き

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、

安城者要害則時ニ被破破之由候、

について。


「被破破」がどういう意味なのか不明。研究者もここはスルーしている模様。おそらくは誤記か誤読なんだろうと思われ。とにかく織田信秀松平信忠の軍を破ったという意味で問題ないと思われ。


次に「安城者要害(安城は要害)」だけど村岡論文によれば

本文書がこれまで刊本に収録された際には、註(8)諸掲村岡によるものも含め、「者」に「之ヵ」と傍注している。

とある。しかしこの論文では「安城は要害」を採用している。理由は論文参照のこと。


村岡氏は、「安城の要害」だとすれば

このくだりは織田からの来信の文面を踏襲したとおぼしいが、敵方(今川)の砦を攻落したことを他者(北条)に向かって誇る際に、織田が「(敵方である)安城城という要害を破った」と表現するのは、いささか不自然のようにも感じられる。

とする。それは「安城は要害」でも同じことではないかと思うけれど、村岡氏によれば「安城は要害」は

安城は織田にとって要害ですから即座にこの地をお破りになり」

と解釈できるので良いらしい。俺はこれも不自然に感じるけれど。


しかし、これが信秀が安城を攻めたのではなくて、広忠が安城を攻めて織田が守ったと解釈すれば「安城は要害なので即時に襲ってきた敵を破った」と解釈でき、「安城は要害」で何の問題もないのである。


この点から考えても「去年向彼国起軍」ではなく「去年向彼国起軍」を採用した方が意味がすっきりするのである。


次に「毎度御戦功、奇特候、」について。これは特に問題ない。ただし一応書いておくけれど「戦功」は自分のためにするものではなく、他者のために功を立てることを言うのであり、ここでは織田信秀が「清須(守護斯波氏のことだろう)」のために戦功を立てたということ。