北条氏康書状について(その13)再考

北条氏康書状について(その13)

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、

について。


前に

次に「毎度御戦功、奇特候、」について。これは特に問題ない。

と書いた。しかし、今朝急にひらめいたのだが、これは特に問題がないどころか、この文の解釈における極めて重要な部分なのではなかろうか?


俺は「毎度御戦功」とは、織田信秀は優秀な武将であり、これ以前にも数々の戦功をたてており、今回もまた戦功を立てたので「毎度御戦功、奇特候、」と北条氏康が賞賛していると解釈していた。おそらく全ての研究者がそう解釈しているのではないかと思われる。


しかし、そうではないのではなかろうか?


そう思うのは「被破破之由」という謎の記述である。なぜ「破」が二度出てくるのだろうか?これがどうしてもわからなかった。


だが「毎度御戦功」の「毎度」について考えていたら、ふと
「毎度御戦功」とは安城で敵を何度も破ったことを意味しているのではないか?
ということがふと思い浮かんだのである。


そして、「被破破之由」とは何度も敵を破ったことを表現しているのではないか?ということも思い浮かんだのである。


こう解釈した場合、もちろん安城の城を何度も破ったと解釈することはできない。城を何度も破るということは何度も破られているということだから。したがって、安城に出兵した敵を何度も撃破した。ということになる。


また「去年」とは「昨年」のことであるとはおよそ考えられない。織田が安城を支配した(通説では天文9年)から天文16年までの間に、何度も敵が出兵してきて、その度に織田が撃破したという意味だとしたら、「去年」は特定の年を示したものではないということになるであろう。


「毎度御戦功」をどう解釈するかはとてつもなく重要な意味を持つのである。