ドラッカーの『イノベーターの条件』に「なぜドイツとイタリアなのか」と題した文章がある。
民主主義そのものが、大衆の心にいかなる情緒的愛着も伴っていなかった。当然、その実体が無効であることが明らかになるや、それらの信条や標語は存在しないも同然となった。
他方、イギリス、フランス、オランダ、スカンジナビア諸国においては、民主主義獲得のための闘いが、大衆の心のなかに生きる経験と伝統になっていた。それらの国では、国家としての統合ははるか昔に実現していた。したがって、民主主義の信条が、それ自体愛着を伴う価値として曲がりなりにも根づいていた。
とある。要するにドイツやイタリアには民主主義が根付いてなかったということだろう。
イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編))
- 作者: P.F.ドラッカー,Peter F. Drucker,上田惇生
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一方、ドイツのメルケル首相は、
「人権や自由、民主主義は、それら自体では機能しない」と指摘し、「人間的な社会を構築するためには、自身と他者に責任を持ち、互いに尊敬し合い、気を配り合う人々が必要だ」
⇒ナチス政権掌握80年 過ち繰り返さぬ/独首相呼びかけ 「恒久的な責任」求める
と主張する。「人権や自由、民主主義は、それら自体では機能しない」だ。
※ 赤旗がこんな主張を否定的にではなく取り上げてるのにはちょっと驚いた。
ドラッカーは民主主義の重要性を、メルケルは民主主義だけではだめだと主張し、反対のことを言っているようにもみえるが、実際はそんなに隔たっているわけではないだろう。
つまり、メルケルの言う「人間的な社会を構築するためには、自身と他者に責任を持ち、互いに尊敬し合い、気を配り合う人々が必要だ」というのは、ドラッカーにおいては民主主義の外部ではなく内部にあるものだと認識されており、それなしには民主主義とは言えないと考えているのだと思われる。
たとえば、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と称しているけれど、「あの国のどこが民主主義なんだ?」という考え方と、「あれも民主主義の一形態であって民主主義であれば良いというものじゃない」という考え方の違いのようなものだろう。
俺はメルケルの「人権や自由、民主主義は、それら自体では機能しない」の方に近い考え。なぜならルソーに始まりフランス革命、ロシア革命と続く民主主義運動の行き着く先は北朝鮮のような全体主義だと思っているから。ドラッカーの場合はドイツで生まれイギリスやアメリカに移住しており英米型の民主主義を「民主主義」と考えているのだろう。しかし世界的に見れば、特にインテリにおいてはフランス革命型の民主主義こそが理想型であり今でもそうであろう。そしてイギリスでさえそうだったのだ。
と言い切っている。