『太閤記』と『真書太閤記』と進化論(その4)

『太閤記』と『真書太閤記』と進化論(その3)の続き。

出於襁褓之中より、類ひ稀なる稚立にして、尋常之嬰子にはかはり、利根聡明なりしかば、出家させ禅派の末流をも続せ、松林之五葉を昌んにせばやとて、八歳之比同国光明寺之門弟となしけるに、

赤子の秀吉の容貌に関する具体的な記述はない。しかし「類ひ稀なる稚立にして」とは書いてある。


もちろんこれが秀吉が非常に美しかったとか、賢そうだったという可能性もあるにはある。しかし、「瞳が二つあった」とか「猿眼だとか」「歯が生えていた」というような「異形」であったかもしれない。


小瀬甫庵という人は、太田牛一を「愚にして直な」と評した。それは「聞いたことを馬鹿正直に信じる」という意味であると俺は考えている。であるならば赤子の秀吉が異形であったなどいうことは真実ではないと考え、それを排除して「類ひ稀なる稚立」としたという可能性は十分にある。


すなわち、小瀬甫庵の時代に既に『真書太閤記』と似た伝説が流通していた可能性はあるのだ。


ちなみに、だったらなぜ甫庵が「日輪懐胎説」は素直に受け入れているのかということだけれど、母が日輪が懐中に入る夢を見て懐妊するというのは、ちっとも荒唐無稽な話ではない。両者に因果関係があると言っているのなら、非科学的だけど、夢を見ることは自体は別に不思議でもなんでもないのだし、夢を見たあとに懐妊したって、それは科学的に見れば偶然に過ぎないのだ。それを神秘的なことだと考えて「日吉」と名付けることもありえるだろう。だから甫庵は実際にそういうことがあったのだろうとして採用したと思われる。


そして『太閤記』の秀吉は『真書太閤記』の秀吉や『弁慶物語』の弁慶と同じく寺に預けられる。『真書太閤記』では、秀吉が親の手に余るので実質は家を追い出されたのであり、弁慶は容姿が醜悪であったので親に捨てられ養父によって比叡山に預けられるのだが、『太閤記』にそうは書かれていない。しかし、これも甫庵が削ってしまった可能性はあるだろう。


(続く)