[歴史と伝説『甫庵太閤記』と『絵本太閤記』『真書太閤記』

豊臣秀吉の出自を探る史料として『太閤素性記』『祖父物語』『豊鑑』『甫庵太閤記』などがある。その中で『甫庵太閤記』は歴史学者にあまり重んじられてない。ましてや江戸中期以降の『絵本太閤記』や『真書太閤記』などはほとんど論外になっている。


たとえば秀吉の幼名を日吉丸というのはよく知られた話だが、これは『絵本太閤記』『真書太閤記』に出てくる話であり、『甫庵太閤記』に「日吉」とあるのが最初であり、その他の史料に無いところから小瀬甫庵の創作だなどといわれていたりする。「日吉丸 甫庵 創作」で検索すればいっぱい出てくる。


つまり『甫庵太閤記』が悪の大親分で『絵本太閤記』『真書太閤記』がその子分というわけだ。


しかし、その考え方を俺は大いに疑問視している。それについては以前書いた。
『太閤記』と『真書太閤記』と進化論


ここで「進化論」と書いたのはもちろん自然科学の進化論を意識している。A、B、Cという生物のについて、これらの関係がどうなっているのかを考える場合、AとBに似た特色があってCにそれが無い場合、(A・B)→CまたはC→(A・B)という進化は考えられるがA→C→Bと進化した可能性はまず考えないだろう(クジラのように海→陸→海という場合もあるけれど)


これは『源氏物語』や『平家物語』などの古典の写本がどのように伝わったかを考える場合も同様だ。写本の過程で誤字・脱字あるいは加筆があった場合、それをさらに写本すればそれもそのまま伝わる。途中で訂正されるということは稀にあるかもしれないが、そこからまた同じ箇所に同じ誤字・脱字・加筆が発生するということはまず起こりえないのではあるまいか。


太閤記』については『甫庵太閤記』→『絵本太閤記』『真書太閤記』という流れだと考えられている。書かれた時代も『甫庵太閤記』が先で『絵本太閤記』『真書太閤記』が後だからそう考えたくなるのは当然といえば当然ではある。


しかし、上に書いたようなことを念頭に入れて検証すると不自然な点があるのだ。


というのは以前書いたように『絵本太閤記』『真書太閤記』の秀吉幼少期の話は『弁慶物語』と物語要素が一致している点が非常に多い。ただしこれを指摘する人は俺の知る限り皆無だ。だから俺が発見したのだと思っている。だが両者を読み比べてみれば一目瞭然だ。


さて、『絵本太閤記』『真書太閤記』と『弁慶物語』の類似をどう考えればよいのか。単純に考えれば『絵本太閤記』『真書太閤記』は『甫庵太閤記』の子分であると同時に『弁慶物語』の子分でもあるということになるだろう。つまり両者のハイブリッドということだ。


ところがそれだと不可思議なのだ。というのも『甫庵太閤記』を仔細に検討すれば、ここにも『弁慶物語』と同じ物語要素の痕跡があるのだ。それはこれを念頭に入れていなければ気付かない程度のものではあるが、意識して読めば明らかに存在している。


もし『甫庵太閤記』→『絵本太閤記』『真書太閤記』という流れであるのならこれは不思議なことだ。『甫庵太閤記』にそのような痕跡があることの説明がつかない。第一点としてなぜ甫庵はそんなことをしたのか意味不明である。第二点として意識して見なければ気付かないような痕跡がなぜ『絵本太閤記』『真書太閤記』において復活しているのかということが謎だ。進化論でいえば一度消えた尻尾がまた生えてきたようなものだ。


現在の進化説を見直さなければ、この問題(といっても俺以外はそんな問題意識は持ってないのだが)は解決できない。


どうやれば解決できるかといえば、俺には答は一つしか無いように思う。それは甫庵太閤記』『絵本太閤記』『真書太閤記』すべての祖先となる【原太閤記】を想定しなければならないということだ。もちろんそのような【原太閤記】は現存しない。おそらく元々文書として存在せず口伝であったのだろう。この【原太閤記】の時点で『弁慶物語』の物語要素を備えていたはずだ。そこから『甫庵太閤記』も『絵本太閤記』も『真書太閤記』も生れたのだ。


その進化系統であるが、もちろん【原太閤記】→『甫庵太閤記』→『絵本太閤記』『真書太閤記』としたのでは意味がない。そうではなくて途中で枝分かれしたのだ。すなわち『甫庵太閤記』と『絵本太閤記』『真書太閤記』は祖先は同じだが「別種」なのだ。



【原太閤記】→『甫庵太閤記
【原太閤記】→→→→→→→→『絵本太閤記』『真書太閤記


こう考えればこの問題(しつこいようだが俺だけが問題だと思っている問題)が解決するのだ。


小瀬甫庵は【原太閤記】にあったと思われる異様に長い懐妊期間や赤子に歯が生えていたなどの荒唐無稽な要素(『弁慶物語』にもある)を削ぎ落とし、現代の歴史学者の目からすると事実と異なると考えられる部分があるにしても彼自身には現実的だと考えられる程度に原話を「修正」したのではなかろうか。


一方、『絵本太閤記』『真書太閤記』は『甫庵太閤記』を面白おかしく潤色したのではなくて、【原太閤記】にあった話が後世に伝えられたのを採録したのだと考えられる。もちろん長い時間を経て変化した部分もあっただろうけれども、【原太閤記】を比較的忠実に継承している可能性が高いと思うのである。
(ただし『絵本太閤記』『真書太閤記』は『甫庵太閤記』より後に記されたものであるからして『甫庵太閤記』の影響を全く受けていないということもないだろう。しかしそれは歴史学者が考えているほど多くはないと思うのだ)


以上の理由により『絵本太閤記』『真書太閤記』は決して軽視してよい史料ではないと俺は思うのである。たとえば有名な「墨俣一夜城」だけれど、これが史実でないことはほぼ確実だ。だからといって後世の創作と決め付けてよいものかというと、そうではなさそうな感じもするのだ。『甫庵太閤記』には「美濃国内で新城の城主になった」とだけ記されており墨俣城については何も書いてない。この話が膨らんで一夜城伝説になったという説があるけれど「城主になった」ということ自体が確証のない話であり、甫庵が正しい情報を知っていて書いたのではなく、話は逆で墨俣一夜城伝説があまりにも荒唐無稽なので甫庵がそれを「修正」して現実的な話にした可能性は大いにあると思うのだ。


秀吉の出自についていえば『甫庵太閤記』『絵本太閤記』『真書太閤記』は事実が書かれていないかもしれない。しかし、それは著者の勝手な創作ではなく、何らかの背景がある可能性が高いと思われる。たとえば秀吉の実父が戦場で負傷したというのは事実ではないかもしれない。しかし負傷したのが足であることは十分注目に値するであろうと俺は思う。というのも「足が不自由」というのは金属民との関係を連想させるからだ。