『太閤記』と『真書太閤記』と進化論(その1)

『真書太閤記』が武蔵坊弁慶の伝説(特に『弁慶物語』と非常に似ているということを、この前指摘した。
『真書太閤記』の類話


ネットで検索してみると、蜂須賀小六との出会いが義経と弁慶の出会いに似ているという話はある。ただし日吉丸=義経、小六=弁慶とみなしているように見受けられる。そして、秀吉の誕生から寺修行、放浪、小六との出会いという一連の物語が弁慶と似ているという説は見つけられなかった。


この類似に歴史学者は気付いているだろうか?ネットに無いからといって、気付いてないと言い切ることはできないけれど、少なくとも有力な学説にはなっていないのだろう。


しかし、比較してみれば一目瞭然、『真書太閤記』の太閤伝説と弁慶伝説は明らかに関係がある。単に出生譚が似ているというのなら他にも似ているのはいっぱいあるけれど、これほど似ているのはおそらく他にはないだろう。


まずはこの点を学者や研究者に認めてもらいたいわけだが、本当に重要なのはその先なのだ。


単に『真書太閤記』が弁慶伝説に似ているというだけでは、『真書太閤記』の著者が弁慶伝説を下敷きにして太閤伝説を書いたというだけの話のように考えられるだろう。


しかし、そうではない可能性があるように俺には思えるのだ。


(つづく)