ネットのジャーナリズムに何を期待しているのか?

書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか インターネット-最新ニュース:IT-PLUS
はてなブックマークでも評判悪いけれど、俺もなんじゃこりゃって思った。


で、話は随分さかのぼるんだけれど、俺がブログに興味を持ったのが2005年。その時に超有名だったブログの一つが「ガ島通信」で、記事を読んではみたものの、はっきり言ってつまらなかった。いつも何かずれていると思ってた。でも有名だから、流れに乗り遅れちゃならないと思って、一応RSSリーダーに登録して時々チェックしたりもしてたんだけれど、それも面倒になって、いつの間にやらノーチェック。


でも何でこんなに人気があるんだろうと考えるに、それは既存メディアの中の人が既存メディアを批判してるってんで人気があったんだろうと俺は思っている。そんでだ、何で俺にはつまらないと感じるかというと、俺の期待するネットジャーナリズムと藤代氏の期待するネットジャーナリズムとがまるっきり違っているってことにあるんだろうと思う。


俺が期待するのは既存メディアに対するチェック機能。既存メディアが流す情報を鵜呑みにするのではなく、疑ってみることの必要性を説くこと。近頃では、ネット上のメディア批判を鵜呑みにするってケースも随分増えてきたから、さらにそれに対するチェックも必要になってきた。でも基本は既存メディアが取材して情報を発信して、それを読者が評価するってのが俺の期待するもの。


でも、藤代氏が期待しているものは、市民がネットで情報を発信することなんだろう。どうも既存メディア出身者はそういうものを期待している人が多いように感じられる。でも俺はそういうのにあまり期待していない。ブロガーが身近な話題について独自の情報を発信するというのは非常に良いことだと思う。でも、そういう情報はごく限られた人にしか需要がない。もちろん需要が少なくても情報が発信できるというのが既存メディアにはできないネットの利点であり大変結構なことだ。俺も歴史・民俗学関係のローカルな話題について非常に重宝している。でも興味のないものは良い記事であっても読みたいとは思わない。情報が溢れる時代には見ている余裕はない。


また、突発的な事件や事故が起きたとき、付近にいるブロガーが情報発信するということもある。既存メディアが報じる前に、貴重な情報がネットに流れて、それが威力を発揮することがある。有名なのは911テロとかロンドンテロとか。でも、それは突発的なものであって、いつでもあるわけじゃない。


いくら良い情報でも自分に興味がない情報は必要ない。また、社会を動かすような、多くの人が興味を持つような情報を継続的に発信するなんて素人には困難なこと。もちろんネットは素人だけのものじゃない。何らかの手段で収入を得てネットで独自取材の情報を発信することも不可能ではない。そういうのはあってもいいけれど、それは既存メディアと何が違うのか?俺には違いがわからない。逆に既存メディアが紙媒体を捨ててネットに特化したって別に構わない。既存メディアは信用できないが、ネットだけの情報なら信用できるなんてことはない。ネットだと資本が少なくてすむので、情報発信者が増えて競争が激化して質が上がることを期待しているのだろうか?あるいはスポンサー等の圧力が減るので自由に物を言えるということを期待しているのだろうか?俺はその点あんまり期待してないけれど。