淀君は聖なる女性(その3)

淀殿の父方の祖母は小野殿という。

小野殿(おのどの (大永7年(1527年)? − 天正元年(1573年))は、戦国時代の女性。近江国戦国大名浅井久政正室浅井長政の母。また京極マリア京極高吉室)も彼女の娘とされる。名は阿古と言い、「阿古御料」とも称された。父は近江豪族(伊香郡井口(現・滋賀県高月町)の土豪)の井口越前守経元。
久政の他の娘については、阿久姫は小野殿の娘ではなく、近江の方(斎藤義龍室)、大弐局(六角義実女房)はともに生母不明である。

小野殿(ウィキペディア)


彼女は浅井氏滅亡の際に殺された。

1573年(天正元年)9月19日、織田信長によって捕らえられ、十指を数日の間にじわじわと切断され、死亡したといわれる。(『嶋記録』)

女性であるにもかかわらず殺されたというのは、何か特別な理由があったのだろう。特に注目すべきは指を切断されたということ。信長は残酷だったなどと単純に考えてよいものか?確かに残酷ではあるが、肉体的な苦痛を与えるという点では、それよりも残酷な仕打ちはいくらでもあるだろう。


指を切断するということに特別な意味があったと考えるべきではないだろうか?


そう考えたとき、思いつくのは、死後も指を使えなくするための呪術ではないかということ。女性で指を使うということを考えれば、それは「文を書くこと」と「楽器を演奏すること」を封じるためではないかと思うのだ。文字や音楽には呪力があると考えられていた。小野殿は特にそれらに秀でていたのであろう。


ところで、なぜ彼女は「小野殿」と呼ばれるのだろうか?普通に考えれば「小野」という地名にちなんだのだろうということになる。そうかもしれない。近江には小野という地名が何箇所かある。どの小野かはわからない。が、近江は古代氏族の小野氏の本拠地だということも注目しなければならない。そして小野氏には小野小町という美人がいたことに注目すべきではなかろうか。小町が「遊女」に成り果てたという伝説があるのは有名な話。

今一人、現実には遊女ではなかったが、御伽草子で遊女とされた女性がいる。和泉式部と並ぶ女流歌人小野小町その人である。彼女もまた、史実をこえて、訪れた場所、葬られた場所を各地に点在させ、伝承世界に「小野小町的なるもの」を成熟させていった。

書き出しに端的に語られている通り、「小野小町的なるもの」の特質は、一に色好み、二に和歌の才、三に美貌であった。彼女ははっきりと「遊女」と記されている。そればかりではなく、「古の衣通姫の流れとも申し、観音の化身とも申し」という表現が、そのまま、「皆是倶尸羅之再誕。衣通姫之後身也」(『遊女記』)という遊女の形容に通底していることが注目されるのである。

(『遊女の文化史』 佐伯順子 中公新書