坂東武者・熊谷直実は法然の弟子となり出家し法力房蓮生と名乗った。蓮生は建久4年(1193年)法然の徳を慕い法然の父である久米押領使・漆間時国の旧宅、すなわち法然生誕の地に寺院を建立した。これが誕生寺の始まりである。かつては誕生律寺と呼ばれており、御影堂の扁額は「誕生律寺」と掲げられている。
片目川
勢至丸(法然)に右目を射られた明石定明が目を洗った川。それ以後、片目の魚が出現するという。「片目伝説」といえば金属との関わりが気になるところだけれどよくわからない。
大野木殿の墓
大野木殿は柴田勝家の娘で森忠政の養母。彼女については以前少しだけ触れたことがある。
⇒信長はなぜ三郎なのか(その5)
彼女がなぜ「大野木殿」と呼ばれるのかはよくわかっていないらしいが、夫の塙直政が尾張国春日井郡大野木城主だったからと考えられている。俺が気になるのは「大野木」が「大ノギ」であり、ノギはナガと同じく蛇を意味すると考えられること。尾張の大野木に蛇池伝説があり、近江の伊吹童子(ヤマタノオロチと関わりがある)の母は大野木殿の姫。そしてどちらの大野木にも金属民との関係があるかもしれないように思えること。
※なお「養母」といっても忠政が養子になる予定だったということであって、実際に育てられたとかいう話ではないみたい(よくわからないけど)
※大野木殿は柴田勝家の娘となってるけれど養女説あり。
原田貞佐の墓
原田貞佐という人物は初めて知った。原田というのは美作国久米郡稲岡庄原田から来ているらしい。
⇒美作菅氏 - Wikipedia
ところで、大野木殿の夫の塙直政は原田直政ともいう。
後妻は柴田勝家の娘。のちに九州の名族・原田姓を下賜され、原田備中守を名乗る。
⇒塙直政 - Wikipedia
九州の原田氏の原田は筑前国御笠郡の地名から来ているのでただの偶然なのかもしれないが気になる。
さらにいえば、その筑前国御笠郡には大野城(おおのじょう又はおおののき)がある。
⇒大野城 (筑前国) - Wikipedia
「大野城→おおのき→大野木…」ここまでくるとこじつけっぽくなってしまうが気になる。