諱を避ける

本郷和人さんから新著『謎とき平清盛』を送ってもらった。読み始めたら、前近代において諱で人を呼ぶということはなかったという、私も書いたことが書いてあって、それはいいのだがその後、目下なら諱で呼んでもいい、とあったから、ちょっと驚いた。なら家康は「秀忠」と呼んでもいいのか。それで本郷さんに尋ねたら返事があったのだが満足のいくものではなかった。『源氏物語』とかその亜流の膨大な数の作品があるのだが、私には目下の者だから諱で呼ぶという事例は思いつかない。

コンビニはうるさいもの - 猫を償うに猫をもってせよ


この「通説」については以前から疑問に思うところがあるのだけれど、専門書等で調べたことがない。


そもそも、どうやってそのことを確認するんだろうか?江戸時代後期なら明治になっても生きた証人がいるので学者が聞き取り調査をすることができるだろうけれど、それ以前のことは?文書史料で確認するといっても、生の会話を記録したものなどそんなにあるわけではないと思う。「誰々が諱で俺のことを呼んだ、けしからん」みたいな日記とか残っていればわかるかもしれないけれど。


そういう基本的なことがさっぱりわからない。


ちなみに俺が見たことのある安土桃山時代の日記とかには「信長」とか「家康」とか書いてある。書いてあるけれど、もちろん面前でそう呼んだということではないだろうとは思う。だけど、じゃあ何で日記ならOKなんだと不思議に思う。


なおウィキペディアには

日本では通字の習慣があり、中国のような避諱の習慣は定着しなかったといってよい。但し天皇を諱(御名)で呼ぶことについては、古くからこれを無礼としてタブーとする習慣があり、現代においても明仁天皇を「明仁さま」などと諱で呼ぶことはためらわれる傾向が根強い。また昭和天皇当時から、直接呼ぶ事はせず「陛下」と表現される。

避諱 - Wikipedia
とあり、天皇は例外として「避諱の習慣は定着しなかったといってよい」としっかり書いてある。


ただし、

江戸時代以前は目上の人に対して諱で呼ぶことや通字でないほうの字(偏諱)を使用することは避ける傾向があった。なお、大坂の役においては家康の諱を侵したことが徳川方が戦を仕掛ける口実になっている。

とも書いてある。「諱を侵した」というのは例の「国家安康」のことだが、そりゃ避諱というのとはちと違うのではないか?