王家(3)

タイトルには「王家」とあるけれど「武家」と「公家」について考えてみる。


武家 とは - コトバンク

本来的には武士の家筋をさし,武門と同義。一般的には公家に対する言葉で,鎌倉幕府成立後の幕府・将軍家・御家人を含めた武士一般の総称。

公家 とは - コトバンク

元来は天皇・朝廷をいう。平安後期以後は天皇に近侍(きんじ)する朝臣一般を公家と呼んだ。武家に対する呼称。


武家」には「鎌倉幕府成立後」、「公家」には「平安後期以後」という説明がある。こうして見ると「公家」という言葉の成立の方が早いようにみえるけれど、
公家(殿上人)の家名一覧
というページには

公家(くげ)とは、武家(ぶけ)に対する言葉として京都の朝廷を構成する貴族・官人の総称で、元来は天皇または朝廷を指して「こうけ」または「おおやけ」と呼んでいた。

だが、鎌倉時代以降、武力で帝(みかど/天皇)に奉仕する幕府を「武家(ぶけ)」と称するようになると、それに対比して朝廷に於いて政務一般をもって帝(みかど/天皇)に奉仕する文官一般を「公家(くげ)」と呼ぶようになった。

とある。


コトバンクの説明は「百科事典マイペディア」が出典だから、専門家が書いたものだろうから間違いはないんだろうけれど、「武家」という言葉が使用されるようになって、それに対比して「公家」という言葉が使われるようになったという説明にも説得力が感じられる。おそらく一方が正しくて一方が間違っているということではなくて、短い文章では成立の経緯を詳しく説明できないということなんだろうと思われ。詳しい解説はないかと探したけれど見つけることができなかった。


で、ここで重要だと思われるのは「武力で帝(みかど/天皇)に奉仕する幕府を「武家(ぶけ)」と称するようになると」の部分で、すなわち「武家」にしろ「公家」にしろ「天皇に奉仕する」というところがポイントになるんじゃないかと思うわけだ。


すると天皇ではなくて上皇法皇に奉仕する貴族や武士は果たして「公家」とか「武家」と呼ぶことが出来るのか否かという疑問が湧いてくる。これまたしょうもないことで悩んでいるみたいだけど…


そしてここで「王家」とは何ぞやという問題。


「王家」という言葉が中世に使用されたとよく言われるけれど、平清盛の時代にはまだ使用されていなかったそうだ。
NHK大河ドラマ『平清盛』で皇室を「王家」の誤用について|あめばーあめまのブログ


使用されていなくても、その時代に後に「王家」と呼ばれるようになる実体があれば使ったっていいようにも思うけれど果たしてあったのか?そもそも中世の史料で使用されるという「王家」とはどういう意味を内包しているのか?



既に書いたように「大河ドラマ」での「王家」使用については、所詮娯楽だし別にいいじゃんと思っているけれど、
大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって - ITmedia ニュース
みたいな擁護論は納得いかないものがあって、かといってここが違うと言い切ることもできなくて、凄くモヤモヤしたものが残る。