八幡の由来

綿神社で思い出したんだけれど、八幡は「ヤワタ」と読めるから、これも「海人」とつながりがあるのだろう。


この説は既に存在するようだ。

元々は、八幡(ヤワタ)の神と称し、海神として、航海民である宇佐氏に崇敬された神さまとされる。

神社人 - 八幡神社


ただし、検索してもそれほど引っかからないからメジャーな説ではなさそうだ。でも俺はこれが正解ではないかと思う。


ところで八幡といえば秦氏との関係が指摘されている。「八幡(やはた)」は「弥秦」だという説もある。それも捨てがたい。


ただ、秦氏の「ハタ」とワタツミの「ワタ」に関係があるとすれば両者は共存することも可能ではないかと俺は思う。


タツミは綿津見と表記されることがある。秦氏は養蚕技術を持つ。ワタツミを綿津見と表記するのが単なる当て字ではなく海神と蚕に密接な繋がりがある可能性を考えてみる必要があるのかもしれない。


ちなみに検索すると「ナマコ」の名前の由来として

 その名前の由来については諸説ありますが、有力なものとしては古くは「海鼠」と書いて「コ」と呼んだが、後にミミズ形の動物一般を広く「コ」と呼ぶようになったので、混同を避けるため、家の中で飼うものを「カイコ(飼い子、蚕)」、生で食べるものを「ナマコ(海鼠)」のように区別して呼ぶようになったとする説があります。ナマコ料理の海鼠子(このこ:生殖巣の素干し)、煎海鼠(いりこ:ナマコの煮干し)もこれに由来するようです。

海鼠(なまこ) - 万葉の生きものたち
という説明がある。確かに似てるといえば似てる。だけどナマコが海の神として崇められたという話は知らないから関係ないか。


(追記)

八幡の「幡」も綿津見の「綿」も、韓国語の「海」(ワタ)に由来するとされています。

天武天皇の謎を解く(第1章5-1)
(出典書いてくれると捗るんだけどなあ…)

つまり、仁徳天皇に、秦氏が絹や綿を献上したところ、それが「肌」のように柔らかいので秦と書いて「ハダ」と読む姓を与えたという説がある。

2010年02月12日のブログ|「秦氏」の謎ブログ
「綿(わた)」「秦(はた)」に加えて「肌(はだ)」も関係があるそうで興味深い。


あと「内臓」のことを「わた」と言い、語源的には「綿」と同じみたいだけれど、秦氏とは多分関係ないだろう。ナマコの内臓を「このわた」というけれど、歴史的にそう古いものではなさそうだし、これも関係ないか。