「漢委奴国王印」偽造説

邪馬台国?の金印は江戸時代の作ではないか、という説があるそうだ。 - 見えない道場本舗
を見てつい書きたくなった。


偽造説の概要はウィキペディアに書いてある。
偽造説(漢委奴国王印 - Wikipedia)


いろいろな根拠があるのだが、俺が思うのは「仮に偽造だとして何のために偽造したのか?」ということ。


それについては、三浦佑之が亀井南冥売名説を唱えているらしい。


だが、亀井南冥の説は

「委奴国」は「倭国」と同じで「やまとのくに」と訓じる説 - 亀井南冥[8]、竹田定良[9]。これは現在ではほとんど言及されない。

というものであった。もし彼が偽造に関わっているのなら、「委奴国」を「やまとのくに」と読ませることを前提に偽造したということになるだろう。


ところが一般には「漢の倭(委)の奴(な)の国王」と読むのが通説になっている。また「漢の委奴(いと)の国王」と読むという説もある。どちらも説得力を持っている。


(なお「明治以前の日本語の発音では「委奴」と「伊都」は発音は同じではないので置き換えが可能であったはずがない」という見解があるが、俺はこれに同意できない。「ゐ」と「い」は言語学的に発音が違うとはいえるだろうが、実際に混同することが無いとは言い切れないだろう。机上の理論だと思う)


俺の個人的な考えとしては、「委奴国」を「倭(委)の奴(な)の国」とも「委奴(いと)の国」とも読むことができてしまうこと、それ自体に重要な意味が隠されているのではないかと思う。


それを指摘する意見が(俺の知る限りでは)存在しないことが、俺が金印が本物である可能性が高いと考える根拠の一つになっている(トンデモではあるが)。


(なお金属技術史研究云々は詳細がわからないが決定的なものではないので今でも議論が続いているのでしょう。既に存在している「偽造説」によってフィルターがかかっているかもしれないし)



ところで、前に書いたことだが、「委奴国」を「倭の奴国」とも「いと国」とも読むことが可能だとしたら「いな国」と読むことだって可能なはずだ。ところがそういう説は(少なくとも俺は)ほとんど見たことが無い。


これは不思議な話だ。「史料に載っていないから」ということだろうか?


しかし「伊那」「伊奈」という地名は実在する。しかもこれらの地名のある地域と海洋民族である安曇族との関係はよく指摘されているところである。


俺が前から注目しているのは名古屋市西区の「伊奴神社(いぬじんじゃ)」。
伊奴神社 - Wikipedia
現住所の「稲生(いのう)町」の地名の由来は「伊奴」だという。「伊奴」と「委奴」は非常に近い(学者は違うというのだろうが)。


しかも近くには「志賀」という地名がある。金印が発見されたのは「志賀島」である。


さらに名古屋市北区元志賀町に「綿(わた)神社」がある(伊奴神社と区が違うが近所にある)。
綿神社


「綿(わた)」が「わたつみ」の「わた」であることは疑いない。

綿津見、少童神、志賀神(しかのかみ)と書かれるほか、海神(わたのかみ)などと作り、また『日本書紀』には海神豊玉彦(わたつみとよたまびこ)とあるので、豊玉彦命などと書くものもある。「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる[1]。また、海の別名としても用いられる。

ワタツミ - Wikipedia


「志賀」の地に「伊奴」という名の神社があるというのは、無視できない重要な事実である(が無視されてるっぽい)。


なおこの志賀の地は尾張国山田郡にあり、山田という地名は珍しくないとはいえ「山田(やまだ)」と「やまと」の関係だって考えようと思えばできなくはないと思うのである。


(追記)
ただし「伊那」に関しては俺は詳しくないのだが、幕末から明治にかけて国学者が非常に関心を持っていたらしく、彼らの「研究」によって歴史が歪められている感がなきにしもあらず。これはこれで調べると面白そうなんだが。