「あざい」か「あさい」か(その4)

これもよくわからないんだけれど気になるので一応書いておく。


帝王編年記』の「近江国風土記逸文について。

また云へらく、霜速比古命(しもはやひこのみこと)の男(こ)、多々美比古命(たたみひこのみこと)、是(こ)は夷服(いぶき)の岳の神といふ。女(むすめ)、比佐志比女命(ひさしひめのみこと)、是は夷服の岳の神の姉(いろね)にして、久恵(くえ)峯にいましき。次は浅井比竎命(あさいひめのみこと)、是は夷服の神の姪にして、浅井の岡にいましき。ここに、夷服の岳と、浅井の岡と、長高(たかき)を相競いしに、浅井の岡、一夜に高さを増しければ、夷服の岳の神、怒りて刀剣(つるぎ)を抜きて浅井比賣( - ひめ)を殺(き)りしに、比賣の頭(かしら)、江(うみ)の中に堕ちて江島(しま)と成りき。竹生島と名づくるはその頭か。

近江国風土記 - Wikipedia
※ 原文は漢文
逆さ読み『風土記』 逸文 近江国 竹生島 : Myth is a Mystery Maze.


「多々美比古命」「比佐志比女命」は日本語の一音節に漢字一字をあてているのに、「浅井比竎命」はそうなっていない。記紀においても必ずしも一音節を漢字一字に当てているわけではないけれど「浅井比竎」だけ新しい感じがする。これがたとえば「安佐伊比竎」とか「安在伊比竎」とか書いてあれば当時の発音がわかったのに、これじゃわからない。ちなみに「安佐伊」という名字は実在する。


しかし『日本書紀』には既に「浅井田根」という地名が出てくるので、大昔から「浅井」は「浅井」。「浅井」の語源が「朝日」だとしても、それは『日本書紀』よりもさらに昔の話ということになるだろう。


ところで戦国大名の浅井氏が「あざい」なのか「あさい」なのかという問題は割と有名だけれど、竹生島の都久夫須麻神社の祭神の「浅井比竎命」の読み方は「あざい」なのか「あさい」なのかという問題もあるはず。


上のウィキペディアの「近江国風土記」では「あさいひめのみこと」としているけれど、同じウィキペディアでも「都久夫須麻神社」では「あざいひめのみこと」としている。
都久夫須麻神社 - Wikipedia


「浅井姫」で検索しても「あざい」だったり「あさい」だったり、「あざい」の方が多いようにも思われるけれど、「滋賀県百科事典」では「あさいひめ」のようだ。
長浜市の都久夫須麻(つくぶすま)神社の概要を知りたい。 | レファレンス協同データベース


デジタル大辞泉プラス」では「あざいひめ」、「日本大百科全書(ニッポニカ)」では「あさいひめ」。
都久夫須麻神社(じんじゃ)とは - コトバンク


(追記19:50)
島の名前が「ちくぶしま(竹生島)」で神社の名前が「つくぶすま」なのは、本来は「つくぶしま」だったということが推定される(さらに前は「いつくしま」という説もある)。土地の名が変化しても神事については変化しない、変化が遅いようにも思われ、土地の名が「あさい」から「あざい」に変化しても神の名は「あさい」のままになりそうなものだとも思う。ただし「つくぶしま」は「都久夫須麻」という字があるから保存されているのかもしれず「浅井」ではそうはいかないのかもしれない。