「あざい」か「あさい」か(その10)

一応のまとめ


宮島敬一氏は『本来「浅」を「あざ」と訓ずることはない』というけれど、「浅」を「あざ」と訓ずる地名は結構ある。
「あざい」か「あさい」か(その6)


しかも、東北の宮城県にもあれば九州の対馬にもあり京都にもある。すなわち日本列島全体で「あざ」が広く分布していた可能性があり、これが古くからあった可能性が推測される。そのことは『日本書紀』の「稚浅津姫命」と『古事記』の「阿邪美能伊理毘売命」からも推測できる。


ということは、「浅井」を「あざい」と呼ぶことは近世に始まったことではなくて、古代からあった可能性も十分あるように思われる。


戦国大名浅井氏が「あざい」だったのか「あさい」だったのか、それとも特に決まっていなかったのかは結局のところわからない。


※ ところで『節用集』(易林本)には朝倉も「あざくら」としている。朝倉の語源に校倉(あぜくら)説等があり、こちらも「朝」と「あざ」の関係を考える必要があるだろう。


※(3/19追記)
近江には浅見氏(出自は武蔵児玉党の阿佐美氏だといわれる)もいるが「あざみ」だったのだろうか?秩父には「あざみ」さんが多いそうだが。
阿佐美氏 - Wikipedia