「あざい」か「あさい」か(その7)

もはや戦国大名浅井氏の話ではなくなるが、ものすごく面白そうなので、古代の「淺」について調べてみる。


日本書紀』の「淺」使用例。

天皇乃幸于神浅茅原(かむあさぢはら)
倭迹速神浅茅原目妙姫
天皇即親臨于神浅茅原

胆狭浅大刀(いささのたち)
淡路嶋出浅邑(いてさむら・いでさのむら)
稚浅津姫命(わかあさつひめのみこと)

浅甕釀酒(あさらけかめるおほみき)
浅茅原(あさぢはら)

余幼年浅識(さとりすくなくして)

服色用浅紫(あさむらさき)

浅処(あさきところ)

浅井田根(あさいのたね)

正位深紫。直位浅紫(あさむらさき)。勤位深緑。務位浅緑(あさみどり)。追位深蒲萄。進位浅蒲萄(あさえびそめ)

務八級浅緑(あさみどり)。追八級深縹。進八級浅縹(あさはなだ)



「浅」の使用法は3つに分けられるだろう。


「浅茅原」「稚浅津姫命」など地名・人名等固有名詞と考えられるもの
「浅識」「浅処」は漢語
「浅紫」「浅緑」など色の名前


固有名詞としての「淺」は巻第五・六・十五そして卷第二十八のみに見られる。「淺」使用が全くない巻もあれば巻第六のように複数の使用例があるものもある。ここには何か理由がありそうに思う。ちなみに倭習による分類では巻第十五はα群、巻五・六・二十八はβ群。


特に注目すべきは「稚浅津姫命」。もう少し調べてみる。