柳田國男vs.フレイザー??(その2)

柳田國男vs.フレイザー?? のつづき。

柳田國男と文化ナショナリズム』(伊藤幹治 岩波書店)より

 『金枝篇』抄略版は一九二二年に刊行され、その邦訳は、第一冊(上巻)が一九四三(昭和一八)年一月三〇日に、第二冊(中巻)が翌四四年三月一日に、それぞれ生活社で刊行されている。訳者は永橋卓介である。

(中略)

訳者付言によると、第三冊(下巻)の刊行が予定されていたらしいが、柳田文庫には第一冊(上巻)と第二冊(中巻)の二冊だけが収蔵されている。
 戦後まもなく、一九五一(昭和二六)年三月から翌五二(昭和二七)年一〇月にかけて、永橋卓介訳『金枝篇』抄略本の邦訳文庫本(五分冊)が岩波書店から刊行されるが、柳田はこれも入手し、柳田文庫に収蔵されている。

(中略)

 生活社版の第三冊(下巻)は、こうした事情で未刊に終っているが、柳田はその二分冊を入手すると、これを丹念に読んだらしい。彼は余白に書入れをするほか、余白に○や✔の記号をかなり記しているからである。しかも、「定本年譜」によると、これを入手して一年ほど経った一九四四(昭和一九)年四月九日から、柳田は自宅の書斎でおこなった木曜会で、この訳本について講演をはじめている。敗戦の一年四ヵ月前のことである。彼は邦訳をとおして、再びフレーザーの『金枝篇』の世界に足を踏み入れたわけである。


柳田國男vs.フレイザー? - Living, Loving, Thinking

当時柳田は、フレイザーの学説を穀霊の王=天皇制とする解釈の立場をとっており、その限りでいえば、フレイザーの著作の翻訳出版は危険きわまりないものに映っていた。

というのはやはり意味がよくわからない。何が「危険きわまりないもの」だというのか俺の読解力では理解できない(狂信的右翼に攻撃されるから?柳田の解釈が間違っていることが露見するから?)


そもそも「フレイザーの学説を穀霊の王=天皇制とする解釈の立場」というのも「フレーザーの学説」に天皇制のことが書いてあるというのは聞いたことがないし、「フレイザーの学説を天皇制にも当てはめる立場」とかいうのなら意味としてはわかるけれど、何のことやらワケワカメ。


(追記)
『漂泊の精神史―柳田国男の発生』(赤坂憲雄 小学館)でもこの一件が触れられているそうだ。今度確認しなければ。転居してから図書官に行くのも一苦労なんで先の話になるけれど。