日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべきなのかもしれないが

日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国

そもそも日本人が「無宗教」だと自己申告する場合、どういうつもりでそう申告しているのかということが問題になる。その人が神社仏閣に詣でたり、御守りを持っていたりしていることを宗教的ではないと果たして考えているのだろうか?自覚がない人もいるだろうが、自覚していても「無宗教」だと申告する人がいるに違いない。


それどころか、日本人の葬式の約9割が仏式であるのは、その全てではいにしても多くは、生前からその人がどこかの宗派に属していたことが推測される。すなわち日本人の大多数は仏教徒である。

もちろん特定の宗教団体に帰依してるわけではない。帰依するだけが信仰ではない。もっと原始宗教に近いものを、日本人は持ち続けている。

どころの話ではない。にもかかわらす「無宗教」と答える人が多いのはなぜかといえば、何らかの宗派に属していても日常的には宗教活動をしていないからであろう。


多くの日本人が「無宗教」と申告するのは、自らの信仰形態を表現する他に適切な言葉が存在しないからで、宗教性に無自覚だからと決め付けることはできないと思われる。


無宗教」とは

無宗教(むしゅうきょう)とは、概して特定の宗教を信仰しない、または信仰そのものを持たないという思想・立場を指す。

しかしこの語に対して人々が持つ印象や定義は曖昧である。単に特定の宗教や宗教団体に参加していない・特定の宗教の教義を受け入れていない・信仰を持っていないことを指す場合もあれば、宗教に対し無条件に信頼を寄せる状態を論理的・倫理的に善しとしない価値観や思想を指す場合、あるいは積極的に神や宗教・信仰を否定する立場や思想を指す場合まで、その言葉の意味する(言葉から連想する)範囲は非常に広い。

最も広い意味の無宗教には宗教に無関心の人の他、無神論、不可知論、懐疑主義、合理主義、自然主義を支持する人、さらには理神論者や一部の有神論者も含まれる。無宗教はしばしば無神論と混同されるが、異なる。

無宗教 - Wikipedia
ということであり、初詣に宗派にこだわらず神社仏閣に詣でたり、クリスマスを祝ったりする人を「無宗教」と表現することは別に間違ってはいないと思われ。



ところで、交通安全の御守や幽霊やお化けに対する恐怖を持っている日本人が「無宗教」と自己申告することに問題があるとするならば、西洋などで「キリスト教徒」と自己申告する人が果たして純粋に「キリスト教的」な宗教心だけしか持っていないのかということも考えてみる必要があるだろう。


試しに「キリスト教 幽霊」で検索してみたが実に興味深い。