「神武東征」(その9)

神武天皇は即位前は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)といい、彦波瀲武〓〓草葺不合命の四男(または三男)である。生まれながらにして明達にして、強い意志を持っていた。15歳のときに皇太子となり、長じて吾平津姫(あひらつひめ)を妃とし、息子の手研耳命(たぎしみみのみこと)を得た。

神武天皇 - Wikipedia


神武天皇15歳で皇太子になったと『日本書紀』には書いてある。

年十五立為太子

日本書紀 巻第三(J―TEXTS 日本文学電子図書館)


神武はウガヤフキアエズの4人兄弟の4男、つまり末っ子であるのに、なぜ皇太子になったのか?それについての説明はない。古代は末子相属制だったという説もあるが、俺は信用してない。


この部分こそ疑うべきところだと思う。おそらく神武は皇太子ではなかっただろう。神武が天皇になったのは、「最後に残ったのが神武だったから」であると俺は思う。その方が伝説として自然ではないだろうか?


では、なぜ書紀に「太子」と書いてあるのかというと、様々な可能性が考えられるけれど、15歳と具体的な年齢が書いてあることからして、全くの捏造だとは思えない。俺の推理では「太子」というのは、元々の伝承にあった言葉を「翻訳」するのに相応しい言葉として選ばれたのだと思う。しかし、その元の意味は「皇太子」という意味とは異なるものであったのではなかろうか?


ちなみに「神武紀」には「天皇」という言葉も出てくる。ここで問題になるのは「天皇」という称号が天武以降のものだということではない。それは「日本書紀」の物語世界では構わないのだ。問題だと思うのは、神武が天皇に即位する前にも「天皇」という言葉が使われていること。

天皇親帥諸皇子・舟師東征。

日本書紀 巻第三(J―TEXTS 日本文学電子図書館)


これも様々な可能性が考えられるだろう。神武伝説が天皇の権威付けのための創作である証拠だとか、後に天皇に即位するのだから、遡ってここでも使用されているとか。だけど、俺はやはりこれも書紀編纂時か、それ以前に、元の言葉の「翻訳」をした際に生じたものだろうと思う。


なお、天武天皇も即位前に「天皇」と書かれている。

朴井連雄君奏天皇曰。

日本書紀 巻第二十八(J―TEXTS 日本文学電子図書館)


おそらくこちらも、そのような経緯があるのだろう。「元の言葉」があったとして、それがどういう意味の言葉であったのかはわからないが、そう仮定して考えてみる価値はあるだろうと思う。