「神武東征」(その1)

こうした経緯から現代の歴史学界では神武天皇の存在は前提とされていない。したがって神武天皇に関する説話は何らかの形で創作されたものであるとする意見が出ており、崇神天皇応神天皇継体天皇、または記紀編纂時期の天武天皇を基に創作したとする「モデル論」も盛んである。また、神武東征物語は邪馬台国の東遷(邪馬台国政権が九州から畿内へ移動したという説)がモデルであるとする説もある。現代のアカデミズムに属する学者による標準的な日本古代の歴史叙述では、この時代は主として考古学を証拠として記述されている

神武天皇 - Wikipedia


神武天皇非実在だというのはいい。俺もそう思う。だけど、それを「創作」だというのには抵抗がある。

(1)それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
(2)翻訳などに対して、作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また、その作品。
「―活動」
(3)事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。
「苦しまぎれに―した話」

そうさく【創作】の意味 国語辞典 - goo辞書


事実でないという意味では「創作」かもしれないが、普通「神話」を創作とは言わないでしょう。「創作童話」は事実ではない童話って意味じゃないし。ここで「創作」と言っている意味は、古くから伝えられていた話ではなくて新たに作られた話であるというニュアンスがあるのだろう。例えば天武天皇をモデルにして作ったとか。


確かに似てはいる。似てはいるけれど、それでもって、モデルにしたという結論になるかといえば、そうなるとは思えない。なぜなら逆に神武をモデルに天武の伝説が作られたのかもしれないから。そうならないのは天武の伝説が史実を反映していることはほぼ確実であるという考えがあるからだろう。


しかし、天武の伝説に神話的要素が入っていないとは限らない。壬申の乱は史実だったかもしれない。だけどそれが神武伝説と似ているのは、神武伝説を意識していたからなのかもしれないではないか。神武伝説を基に脚色したのかもしれないし、神武伝説にあやかって実際に行動した可能性だってあるではないか。


それに上に書いてあるように、神武伝説のモデルとしては、崇神天皇応神天皇継体天皇も上がっている。つまり、それだけ似た話があるってことだ。類話が複数あるのは伝説の世界ではごく普通のことであり、そこに陰謀論など必要ない。


付け加えるなら倭姫命の伝説だって似ていると思う。

第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮伊勢神宮内宮)を創建したとされる(御杖代は依代として神に仕える者の意味であるが、ここでは文字通り「杖の代わり」として遷幸を助ける意味も含まれる。

倭姫命 - Wikipedia


あるいは後代の聖武天皇行幸ルートが壬申の乱の行軍経路と重なっていることも指摘されている。
聖武天皇・恭仁京跡(邪馬台国大研究)


これらが何故似ているのかと考えたとき、おそらく偶然ではないだろうと思う。思うけれど、どういう関係があるのかというと、様々な可能性があると思う。壬申の乱をモデルに神武伝説が創作されたなどというのは、あまりにも単純な話だと思う。



そしてこれが重要なのだが、神武東征伝説と天武伝説(その他)は似てはいるけれど決定的な違いがある。単純にモデルにしただけでは、そんな違いが生まれるとは思えない。そのことに学者が気付いていないから、このような陰謀論が生まれてきてしまうのだろうと俺には思える。


(つづく予定…)