神武東征伝説と「幻の大和国」(その2)

神武東征伝説は大和のための伝説だという考えと、ヤマトが都なのは大和を地盤とする勢力が支配者となったからではないという考え。一見矛盾する考えをどう辻褄あわせするか。


そこで俺の頭に浮かんだのは「幻の大和国という考え。念のために言っとくけれど「幻の邪馬台国」ではない。


俺は何度も書いているが「神話は神話である」という考えの持ち主。神話は史実だとか、史実を反映したものだという考えには、どうにも賛同できない。全く反映してないわけでもないかもしれないけれど、反映していることを前提にして、神話的な要素を軽視する考え方では、大事なことを見落とすことになるんじゃないかと思ってる。


で、そういう考え方を徹底させれば、人物や出来事はもちろんだが、「地名」でさえも、それが史実なのか神話なのかということを考える必要があるだろう。


つまり、何が言いたいかといえば、神武東征伝説の「大和」が、現在我々が知るところの「大和」という地域と同じなのかということ。確かに「記紀」を見れば神武東征伝説の舞台は「大和」であるように思える。編纂者もそのつもりで書いているのだろうとは思う。


しかし、元々そうだったのかは疑ってみる価値はあるのではないか。

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ちなみに、
日本書紀 巻第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇(J−TEXTS 日本文学電子図書館)
には「大和」という文字は一つもない。


「倭」という字は、

此即倭直部始祖也

倭国磯城邑有磯城八十梟帥

〈 過。音倭。 〉

以珍彦為倭国

と4箇所ある。


「日本」という字は「神日本磐余」を除くと、

伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。細戈千足国。磯輪上秀真国。〈 秀真国。此云袍図莽句爾。 〉復大己貴大神目之曰。玉牆内国。及至饒速日命乗天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰虚空見日本国矣。

とある。


古事記(校定古事記)
だと、「神倭伊波禮毘古命」を除けば

此者倭國造等之祖

夜麻登能。多加佐士怒袁。那那由久。袁登賣杼母。多禮袁志摩加牟。

にとある。


(つづく)